二人の証人

これも最近、多少の話題になっていましたが、トウチタイが「二人の証人ルールは変えないよ」と言ったそうですね。(見てないのでどのビデオか知りませんが)


これで、トウチタイが意地でも変えない「JW真理」に新たなものが加わりましたね。

1914年
輸血拒否
2人の証人ルール(笑)


イエスの業や教えとは全く、何の関係もないところで何の意地を張ってるんでしょうか。

ただ、この三大教義(笑)はJW信者の人生を惑わし、狂わせ、破壊してきたので、これを変えてしまうとローマ教皇のように「歴史的謝罪」を迫られるから、意地でも変えらんないんでしょう。


「世の考え」シリーズでものすごく久しぶりに記事ツッコミを書きましたが、同じ号にこんな文章がありました。

神は、わたしたちが律法の細かな点に固執することではなく、『律法のより重大な事柄』つまり律法の基盤となっている原則を理解し、適用することを願っておられます

「二人の証人」というマイナールールに固執しているのは誰なんでしょうか。

トウチタイの精神内部がますます分裂症をきたしているのか、この組織自体が、イエスが語ったような「内部で分裂している王国」になりつつあるのか、どっちかなんでしょう。


「一人の証人」の狂言か、真摯な訴えかも見抜けない

「二人の証人」なら、悪意ある口裏合わせも見抜けない


このルールを盾に正当化される、不祥事の隠蔽と冤罪による被害者を増やしてきたのに、律法の細かな点に固執し続ける老人たち。


基本、この組織の長老たちは、組織のルール通りに「扱う」お粗末な訓練しか受けていない。

どんな扱いを受けようが、この組織は不完全だから、きっとエホバ様が正してくれるそのときまで待ってくださいね☆ということになる。

これが完全に公正なる神様の御意志だそうです。

ふざけた神様だ。


人間が作った宗教に奉られる神様としては、史上最低の部類に入るでしょう。

世の考え②

「世の中の問題は人間の力で解決できる」

これも、JWが嫌いな「世の考え」らしいです。

これを否定しようと、世の中の「悲惨な状況」ばかりを書き連ねます。

自分たちの「悲惨な状況」をそろそろ直視した方がいいんじゃないでしょうか。

自分の目の中に垂木があることを知らないのか、がジーザスの教えですから。


人間の意図的な努力によって根絶された病気があります。

天然痘です。

当時のWHO事務局長でさえ、根絶には懐疑的だった。

人口がどんどん増える発展途上国で蔓延している以上、根絶は不可能だと。

しかし結果的に、年間200万人の命を奪っていたこの疫病は、根絶された。

天然痘撲滅キャンペーンに人生を費やしたルーテル会医師のビル・フォージは自著の中で、「悲観的な人間は雇うな」と語っている。

アメリカのイエローストーン国立公園や、モザンビークのゴンゴローザ国立公園など、人間の努力によって生態系が回復した事例も幾つかある。ゴンゴローザ国立公園では、アフリカの26か国で絶滅したライオンが、繁殖し始めている。

私費を投じてゴンゴローザ国立公園の悲惨な状況を改善することに尽力したアメリカ人事業家も、「楽観主義を選択せよ、悲観主義は自己充足的予言になるからだ」と語る。


自己充足的予言って・・カルト宗教にありがちですね。

悲観ばかりを煽り、自教団に人とカネを集めることしか頭にない。

神の像に造られた人間のポテンシャルを否定し、イエスのスピリットにも逆行する宗教。

神の国の到来を妨げているのは、不和と悲観を世の中にバラまくカルト宗教の方ですね。


「気をつけなさい。世の哲学やむなしい欺きにより、あなた方をえじきとして連れ去る者がいるかもしれません」

JWのむなしい悲観哲学に惑わされ、人生をハルマゲドンくるくる詐欺の勧誘活動、というドブに捨ててしまわないよう、将来ある若い方々にはくれぐれも気をつけてほしいですね。

世の考え

最近のも塔記事の劣化が激しいのか、醒める信者が続出して今までありがたがっていたような記事にも違和感を覚えるようになったのか、は分かりませんが(おそらくその両方でしょう)、また酷い記事が出たようで、多くのブロガーさんが書いていました。


神を信じなくても正しい生き方ができる

宗教がなくても幸せになれる



JW的「世の考え」ツートップらしいです。

こういう考えが「間違っている」のはなぜか、そして「正しい考え」とは何なのか、を説明できるようにならないといけないらしいです。


別に、そう考えている人はそれでいいんじゃないですかね。今さらですが、よそ様の家に押しかけておいて、相手の考えが「間違い」で、自分の考えが「正しい」という失礼な前提で話すのがJW布教なんですね。


逆に、そう考えているほとんどの人は、

神を信じることで自分は正しい生き方ができている

自分の宗教があることで幸せになれている


と考える人に、「それは間違っている!」なんて言わないですよね。


中には、過激な主張をする無神論者もいるのかもしれませんが、JWのような過激な主張をする「古い人格」を脱ぎ捨てられない宗教者も、そんなにいないと思います。


しかもJWは、神を信じていても、宗教を信じていても、自分の組織以外はすべて偽りだと、宗教者にもことごとくケンカを売ってる訳ですからね。(ほとんど相手にされなくなっているが)

はっきり言うと、JWが過激な主張を宣伝している、という点においては、ロシア政府の判断は正しいです。むしろ、こんな不和やあつれきを社会にバラまく過激な主張をする団体が西側で認可されているのは、人間社会が進歩して寛容になった証です。そこを勘違いしない方がいい。

「過激かどうか」の判断は主観に依るところが大きく、思想弾圧にも悪用されるので、ほとんどの「先進」国では、どんなに過激だろうが、実力行使を伴わない純粋な言論による「表現の自由」や「信教の自由」にはまず立ち入らなくなっている。


だから宣伝内容が過激である、という判断を根拠に宗教法人登録を抹消する国家措置の是非は別にして(その国の主権が独自の政治的判断でやってるだけのこと、そこに口を挟まないのが中立だよね)、内容が過激である、という点においてのみ、自分の主観は全く同意します。

批判しない

もう一つは、長老たちは 「批判しない」 という書き方です。

例えば、JW信者が輸血を受け入れたとき、長老たちは当然、その決定を批判はしません。医療上の個人決定は指図なんかしてませんよ、という表向きの偽善スタンスがあるからです。しかし、その決定により、当人から断絶した、と容赦なくみなす訳です。

当局には、輸血した人に排斥措置を取ることはしていませんよ、という二枚舌を使います。当人から断絶したと見なすだけで、組織上のルールとしては排斥措置とは違うので☆と言い張れるからです。

だから 「批判はしません」 という文言の背後には冷酷な意図が隠されていることがある。


あなたにはそうする権利があります

そして長老たちは批判はしません


ということで、実はこれ、組織に洗脳された信者には 「どう扱われるか分かったもんじゃない」 という恐怖を植え付ける呪文なのです。JWの個々の信者には輸血という医療行為を選択する権利があります。そして長老はその決定を批判しません、と言ってるのと何も変わりません。

その傍ら、組織からの隔絶は絶対神の憤り、そして永遠の切断と同値である、と刷り込む。

さらに対外的には、「隠蔽指示なんかもうしてませんから♪」 と主張できる言質になる。


さすがにこの組織を牛耳っている者たちは、恐怖による支配には長けている。

そしてただのバカでもない。


彼らは、指示してるだろ!と当局に指摘されかねない文言は使わずに、国語のお勉強的にはどうってことのない数々の単語を恐怖の呪文を変え、信者の潜在意識と行動を狡猾にコントロールしている。


その呪文の効果も薄れ、思考の金縛りから醒める信者も続出しているようですが。

権利がある

すでに半年前に晒されているも協会の最新のお手紙ですが・・

https://drive.google.com/file/d/0B2fYNzAbUpqFNlV3QUU0OUpaRjA/view

これも中野っちさんがとっくにまとめてくれていますが・・


4年近く前に書いた自分の記事はこちら↓です。

http://bbreader1999.blog.fc2.com/category17-1.html

「児童虐待の訴えを警察や他の機関に報告すべきではないと示唆することは誰に対しても決してしてはなりません。もし尋ねられたら、問題を当局に報告するかどうかは個人的な決定であることを明確にしてください」

尋ねられた場合にのみ、警察への通報は個人的決定だからねと伝えるようにとの指示です。


そんなことで法人格宗教団体の指導者として道義的責任を果たしたとでも言い張るつもりか、との当然のツッコミを受けてか、最新の指示では↓のように変更されています。

「その件を当局に通報する権利があることをはっきり伝えてください。通報しても、長老たちは批判しません」

尋ねられなくても伝えてね、にはなりましたが、その言い方です。


権利がある・・・・別にどうってことのない普通の言葉なんですが、この狡猾二枚舌組織が使うと、どこか釈然としない(笑)やらしい言い方ですね。なぜか。


この組織の洗脳教育では、権利があるって、ものすごく否定的に教えられるんですよね。

彼らがわがままに権利を主張セヨ!と指示するのは対外的に、家族でも社会でも周りに迷惑がかかろうが「部族神エホバ様に憎まれる」ことは絶対しない、そして戸別布教では、逆にいくら他人に迷惑をかけてもおかまいなしにやるときなどの、宗教の権利ですが何か?の場合だけです。


組織内部では、個人の権利を主張することにはおそろしくネガティブな印象を植え付ける。

わたしたちは感情を害されるとき,それを大問題にするでしょうか。聖書はクリスチャンに,裁くのをやめ,人を許し,個人的な権利を主張しないよう訓戒しています。

自分個人の権利を進んで譲り渡して他者に思いやりや温和さを示す態度が関係している。

忠節なクリスチャンは,他の人の良心を傷つけてまで,あるいは会衆の一致を犠牲にしてまで自分の個人的な権利に固執しようとは思わないでしょう。



はい、そういうことです。説明はいりませんね。
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