違法布教

中国で捕まったキリスト教系団体の日本人信者がエホバの証人なのか、おそらくそうなのだろうが、自分には断言できる材料はないし、そこまで追求する気もない。

ただ、エホバの証人が中国に目的を偽って入国し、違法布教をしているのは事実。


中国ではれっきとした違法行為。犯罪です。

犯罪に重い軽いはあるが、いい悪いはない。

窃盗も、違法布教も、違法は違法。

自分たちの大義があれば、違法行為まで奨励する。

過激な宗教って、このことですね。


これがエホバの証人としても、それをJW.orgで公表し、信教の自由の侵害だと騒ぐことはしないだろう。

至上者エホバ様の命令に国境も国籍もないはずで、布教の自由が全世界で認められるべき普遍の正義なら、習近平に「外国人に布教の自由を認めろ」とお手紙テロをさせてもよさそうですが。

結局、WT上層部も「政治的な判断」というダブルスタンダードで動いているだけ。


外国人信者が中国で捕まっても、公表もされず、お仲間さんに祈ってももらえない。

ただの使い捨てだね。


どこの団体さんにしろ全員解放されたみたいで、それはよかったです。

戒律違反は即刻処刑の旧約エホバ様より、習近平の方が大人です。



もし中国政府が「西側の宗教」による布教活動を本気で取り締まり出せば、JW違法布教も厳しいだろうね。

ロシアでは法人解散。

13億を超えるインドでもわずかなクリスチャン相手にちまちまやってるだけだろうし、人口増加を続けるイスラム圏は全くの論外。

これが、アメリカ発祥のアメリカ白人が作ったキリスト教原理主義団体の限界ですかね。


これでハルマゲするなら、「彼らのイエス様」はこの100年、何がしたかったんだろうか。

悪魔の証人

中野っちさんブログで今年の大会ファイナル動画がリークされていた。

奴隷信者相手には、恒例の「今年が最後の大会か」の煽り効果はあるんでしょう。

醒めかかってる信者さんは逆に引くんじゃないかと思うんですが、それも計算なのか、大した寄付も布教もしてないと思われる「生ぬるい」信者はどうでもよく、もう何があろうとも絶対についてくるコア信者を煽って絞るだけ絞りとろうとする、統一教会路線でゆくんでしょうか。


それはもうどうでもいいんですが、こういう動画を醒めてから見るたびに思う。

結局、ハルマゲで救われたいだけ、死にたくないだけ。

ほんとうに今さらだが、これだけの宗教だったのかと。

この宗教から「信者だけが救われるハルマゲ」をとったら何も残らない。

哀れな宗教だ。


ほんとうはやりたくもないほうし

やりたくもないわりあて

いきたくもないしゅうかい

なかよくしたくもないしまい

したがいたくもないちょうろう


じゃあ ほんとうにしたかったことは?


ほんとうはやりたかったぶかつ

いきたかったがっこう

やってみたかったしごと

すみたかったいえ

いきたかったりょこう


すべて ぎせい にするんだよね しなないために


『皮のためには皮をもってしますので、は自分の魂のためなら、持っているすべてのものを与えます』


悪魔さん あなたは正しかったよ

ほろび で脅せば ひとは持っているすべてのものを捧げてくれる

エホバの証人という宗教が見事に証明してくれた 


『自分の魂を救おうと思うものは、それを失うのです』


そしき に魂を売り渡して失った操り人形の 悪魔の証人たち

正当な怒り

④ 「正当な怒り」は存在しない

これがけっこう大きな違いですが、キリスト教では「神」とかいう空前絶後な(笑)存在がいて、その神が「自分の規準=ルール」に基づいて、そこから外れた人間に怒り、そして場合によっては殺すことさえ正当なこととされます。

しかもJW部族神の場合、殺す規準になるのは、隣人愛を表しているかどうかではなく、神聖なはずの自分の名前がなぜか安っぽくカタカナ変換されちゃった(しかも誤読)エホバの証人という団体に入信しているかどうか、になるらしい。イスラム国の戦闘員よりおっかない神様です。


今になって冷静に考えると、おそろしい教えです。


仏教では、神だろうが仏だろうが、正当な怒りは存在しません。自分と意見が違う人間を「憎む」ことは殺人につながり(それはイエスも教えている)、結局は世の中の人間すべてを殺さなくてはならなくなります。それがJWの宣伝するエホバであり、そのエホバがやらかすハルマゲドンです。


だからJWに騙された、JWに洗脳された狂信毒親に酷い目に遭わされた、などの「怒り」は当然のものですが、「自分が正しいから」怒っている、にならない注意は必要です。

何度も薬害の例を出しますが、被害を受けた人は「自分が正しいから」怒っているのではなく、自分が受けた被害という事実に基づいて怒り、訴えているだけです。副作用が出なかった他人に「間違っている!」と怒っても意味がありません。


JW批判は対価を払って経験した人に書く権利がある「口コミ」に似ています。それでも、それは「その人の真実」であって、自分と異なる口コミがあってもいい訳です。JWで刷り込まれた「自分は絶対に正しい」が抜けないと、自分が「間違っている」と思うことを次から次にターゲットにしなくてはならなくなります。

まして経験してもいない人が伝聞だけで絡み始めると、収拾つかなくなります。



○○会論争とか(大汗)



JWで味わった痛みの程度は人それぞれですが、JW批判は経験者(非信者で迷惑を実際に被った家族の人など含む)が口コミ程度に吐き出すのがいいと思います。そこに残りの人生の大部分を関わらせるほど、虚しいものはありません。

よくポジティブとかネガティブとか、さも高尚な精神論も目にすることがありますが、所詮はただのブログで、しかもどうしようもないJWネタを書くときくらいネガティブでいいじゃんね、くらいのポジティブさ(笑)があっていいと思います。


JWブログを書いている人たちの多くも、ブログを書いている以外の人生の大部分では、前向きに楽しく生きている人たちではないかと願います。(実際は知りませんが)

言葉と真理

③ 言葉にも「絶対」はない


道元の記事でも書きました。開祖のお釈迦さまもそう言っています。

仏教は「書物権威」ありきの宗教ではありません。(仏教での)真理である「空」や「縁起」をただの言葉で表し尽くすことはできないので、お釈迦さまも「わたしがこう言っているから」真理なのではなく、真理は己で悟らねばならない、と教えたらしい。

「関わり」こそが真理なので、一人の悟り(スピリット)がその人の言動に表れて波及することはありますが、言語も相対的なので、誰かが何かの言語で「こう書いた」ことが真理である、という固着化・教条化を否定します。そういう他人の言葉を借りるだけの浅はかで、しかも押しつけがましい広め方はするな、が開祖の教えです。

言葉自体が「真理」なのではなく、言葉はそれを指し示す「ヒント」にすぎない、それが以前の記事にも書いた「指月の譬え」です。

とはいえ、仏教の人は聖書を「悪魔が創作した偽りの宗教本」とは中傷せず、教えが違うところは違うと言いますが、聖書(特にイエスの教え)にも真理を悟るためのヒントがちりばめられていることも認めて、説法でイエスの譬えを引き合いに出すお坊さんも普通にいます。


・・そのはずが、仏教もキリスト教と同じく、日蓮や親鸞など、本人たちには会ったことないので分かりませんが、その「真の弟子」(笑)と称する者たちが狭量なカルト化する土壌にはなっています。とにかくやたらと「真の宗教」「真のキリスト教」など、真の~と自己言及したがる宗教ほど全体主義で強圧的でカルト要素が強い、と知っておけばまず間違いはありません。


無教養JWはヘブライ語が神と人間のコミュニケーションツールとして完全な言語?であり、楽園行ったらみんなヘブライ語だね、と聖書にさえ書いていない(笑)幼稚なことを言いますが、考古学・言語学ではそんな根拠はどこにもありません。

表記言語としてはメソポタミアの楔型文字の方が余裕で古いことは周知の事実ですし、古ヘブライ語には、それより古いシュメールやアッカド語から輸入された語彙も普通にあります。


さらに続きます。

空と縁起

仏教との比較もさらに少し。

キリスト教と仏教(哲学)と比較する場合は、仏教寄りに書きます。

わらと垂木の譬えにあるように、自分が属していない側の良い点を見なさい、がイエスの教えです。JWは自分の組織だけを賛美し、それ以外の組織はすべてサタン側だと、イエスではなく悪魔(中傷する者)を見習う宗教を作り上げています。

自分が経験したJWは遠慮なくボロカスに書きます。

いわゆる「普通のキリスト教」は経験したことはないので、キリスト教を批判するときは、JW批判よりも遠慮がちになります。


前置きはこのくらいに。


① 出来事や感情をいちいち人格化しない

西洋宗教(ヘブライズムとヘレニズム)に共通するのは人格化です。ギリシャ神話では季節の移り変わりは人格神が「悲しんで」冷気を発しているからだ、と説明されていました。

洪水や嵐が起きると ⇒ 怒っている
虹が出ると ⇒ ほっこりしている

ヒトが「怒る」のも悪魔という「人格」が誘惑しているからだ、となります。ヒトはもともと「完全な存在」なのに、悪魔やら原罪やらのせいで「不完全」になっている、と思い込むことで自分だけは「いい子」でいようとします。特にJWはこの傾向が強いです。

仏教では「完全な存在」など想定されていなくて、ヒトも自然の一部なので、悪魔やら原罪やらのせいにせず、まず「己ときちんと向き合え」と教えます。


② 絶対的な存在を想定しない

仏教のよく知られた教え(真理)が「空」です。これを誤解すると、世の中すべては映画マトリックスのような幻覚にすぎない、みたいなファンタジーのように捉えてしまう人もいます。

簡単に言うと、他との「関わり」から超越した絶対的な「本質」や「自性」は存在しない、という教えです。サンスクリット語ではマーヤーという言葉がありますが、「神々の大いなる力」とは、ヒトの心作用が生じさせる幻覚とされています。

キリスト教では「偶然」とか「必然」とか、そういうことにやたらと意味を付したがりますが、仏教では、そんなのはヒトの心の持ちようにすぎない、そういう意味で「幻覚」だと言っているだけで、事象や物質がありのままに存在している現実を否定しているのではありません。

陽子や電子がそれ単独で存在するよりも、その組み合わせや振る舞いが「元素」の性質を決定し、その原子のくっつき方が分子の性質を決めて「物質」ができ、その「物質」を合成や加工することで多種多様な「物性」が決定される・・つまり「関わり=縁起」こそがあらゆる事象を成り立たせている、という数学や科学とも相性がいい教えです。


続きます。
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