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信教の自由①

「する」自由と「しない」自由

法律上、はっきりした区別があるかどうかはよく分かりませんが、後者の方が広いと思います。日本で 「しない」 自由が認められていないのは 「税金を納めない自由」 くらいですかね。

言い方によっては 「赤信号を守らない自由」 も認められていませんが、こちらは赤信号を突っ切って横断する、という行動が伴うので 「する自由」 になると思います。


「する」 ことで裁かれるより、「しない」 ことで裁かれる方がより重いです。

これはJWにもあてはまるが、JWは「する」ことで裁かれる(排斥される)ものはいっぱいあるが、さすがの彼らも「しない」ことでは裁けない。

「開拓しない」「注解しない」「奉仕しない」「集会にこない」など、霊的レベルの低い人というレッテルは貼られるが、それだけで排斥の事由にはできない。


ロシアで制限されようとしているのも 「する自由」 の方だと思います。


「JW.orgロゴを掲げる、も協会関連法人所有の建造物で集まる」自由

「も協会の印刷物を発行し、配布する」自由


このあたりですかね。これが認められていないのは別にエホバの証人やロシアに限ったことではなく、中国もそうだし、イスラム教国は政教分離すらしていない。


言論(表現する)の自由や、信教の自由に含まれる結社(集まる)や宗教活動(布教する)などの 「する自由」 は無制限ではなく、社会の制約を受けるので、その制約の度合いが国によって違うのは仕方ないです。政教分離をスタンダードとするのはキリスト教欧米価値観で、JWが寄生していくらか増殖できたのもその文化圏です。

もしからしたら、第七世界強国が米英だ、みたいな解釈が気に入らないんじゃないですかね。最後の世界強国をロシアに変更して、アメリカ資本ばかりじゃなくロシア企業にも投資運用すれば気に入ってもらえるかもしれませんね。

やり方に違いはあっても権力者は自らと自らの国の権益を考えるのはあたりまえ、自分たちサイドの価値観を認めない国に陳情の手紙を書け、とはどこが中立なのか。自分たちの権益が第一なのはJWも同じで、自分たちの権益が絡まない陳情や署名活動には加わるなと指導して、それが 「中立」 だと思い込んでいるだけですよね。自分たちの権益が絡まない、少数者の権利のために署名する方が、まだ聖書の精神に近い気がする。


話を戻すと、「しない」自由を制限するなら話は別だと思います。


「ロシア正教会の礼拝に参加しない」自由

「プーチンの肖像に膝をついて拝まない」自由


こういう「しない」自由までが奪われて、JW含む他宗派他宗教の人たちが投獄されたり拷問にかけられたり、なら人権問題にもなるが、現状はJW関係者以外にはどうでもいいニュースです。

国際郵便テロで注目を浴びたいのかもしれないが、世間どころか、JWorgロゴや不動産ビジネスまがいのJW営業路線に嫌気がさして、関心がない現役さんも多いのでは。

手紙

久しぶりに気になる話題が。

ロシアに手紙を書くキャンペーンが発動したらしい。現役さん方のブログを見る限り、ここでも「醒める」と「燃える」の二極が生じているようです。


もはや何語でもいいから手紙を大量に送りつけろ、は直接には何の効果もないどころか、ただの迷惑行為でしかないが、自分が考える「効果」は2つあります。


① ロシアへの挑発

ラザフォードがヒトラーを挑発したのと同じやり方です。中立どころか、星条旗が掲げられている会場で大会を開きながら迫害を煽るかのようにヒトラーを名指しで非難する。今回もロシアを挑発して「現代の試練」を演出して注目を浴びたいのかな。「ナチスの迫害を耐えた」はいまだに宣伝ネタに使い回されるから、新たなネタ作りには格好の機会になるかもしれない。

相手にされないと思うけど。


② ロシア信者へのアピール

指示に思考停止で従うだけの平信者を使った郵便テロ(笑)は状況を悪化させかねず、ロシア信者を本当に気遣っているとはとても思えないが、ロシア信者向けには「状況は悪化しても世界のみんなが応援しています!」アピールにはなりますね。棄教しづらい空気の醸成。


過去のマラウィでも、一党支配の体制では党員カードを買うことは税金を払う意味くらいしかないのに、それさえ拒否するよう指示して迫害を演出したことをレイフランズが指摘している。

でもその時は、確かヘンシェル氏がマラウィ入りして拘留された話を読んだ覚えがありますが、今回は本部から指示を出して「プーチンに手紙を送りつけろ!支部や王国会館の住所は使うなよ?」と平信者にやらせるだけですからね。

まだレットかモリスがクレムリン広場で非難演説を強行して拘留されたら潔いが。

しないだろうな。

今やカネをかけたスタジオで寄付を懇願する、ただのテレビ伝道師ですからね。

主はひとり

話を戻すと、ローカル会衆ごとに裁量権がある、のは悪くないです。

昔、少しだけ付き合いがあった別のキリスト者に、うろ覚えですが 「Church of Jesus Christ」 みたいなシンプルな名称の教派?の人がいました。

名称としては同じものを各地で使っていても、集会や布教の頻度・手法は完全に地元教会の裁量で、他の教会が決めたことには口を出さない、という了解があるそうです。

地元ルールも最低限のことのみ、全会一致で決まったことだけを会則とし、それ以外は同じ教会員同士でも裁かない、口を出さない、というシステムらしい。

そういうやり方に戻ればいいのにね。

今ではスラックスのタイトさ加減までトウチタイの好みで裁かれる。

使徒15章の臨時エルサレム会議のみにこだわるが、ユダヤ教への改宗を経由しない非ユダヤ人クリスチャンには割礼義務を課さない、というシリア教会側の方針に、エルサレム教会は「口を挟みませんよ」(ユダヤ人教会側は実践を続ける)という合意がなされただけです。


「汝らの主は一人、キリストにして、汝らはみな兄弟なり」


キリスト教権威の支配に幻滅した、当時の聖書研究者にグッときた言葉らしいです。中世に作られたKJVのエホバ表記にこだわってそれが真理だ、とはラッセルも主張していない。


汝らの主はただ一人、キリストのみ。


このキリスト教の原点に立ち返ろうとした、のはいいんですが。

現在のトウチタイ、シブ、ジュンカイ、ベテル、あれこれガッコウ、カイタク、などのトッケン乱発ヒエラルキー支配を見て 「組織は前進している、汝らはみな兄弟なり」 と今でも本気で言い張れる人間は、何を崇めているのだろう。

聖書研究会

組織賛美本のお勉強会が始まっているようですが、も塔は当初、トップダウンで画一化されたプログロムではなく(今よりは)自由な聖書研究会を勧めていたらしい。


「各自が聖書と紙と鉛筆を持参し、用語索引などをできる限り活用しよう。論題を選び、その点を理解できるよう霊の導きを求めてから、読み、考え、聖句と聖句を比べよう。そうすれば必ずや真理に導かれるだろう」(大昔の聖書研究者時代のも塔)


手法としてはかなり特殊で限定的ですが、そこそこ自由な勉強会を勧めてはいます。

どこが限定的かというと、「論題」を先に決めてしまい、それと関係ありそうな語句を用語索引で調べ、その語句が使われている細切れ聖句をあちこちから引っ張り出して比較して、「統一した定義」を話し合いで決める、というやり方です。

聖書は辞書じゃないんだから、時代ごとに、著者ごとに書かれたあっちこっちの書簡から同じ語句らしきものを引っ張り出したころで、しかも旧約(ヘブル語)と新約(ギリシャ語)をまたいでも、それがすべて同じ定義で使われている、という保証はどこにもないし、逆に無理がありすぎる。


100年以上前の原理主義者の手法だから、仕方ないんですが。


JWはいまだに、WT解釈に合わせて都合よく使われる字引きのような感覚しか持ち合わせていないので、聖書をまとめて読むことに慣れていない。読んでも何も感じない、分からない。WT解釈とは違う視点や発想を持ってはいけない、という鍼灸のようなリミッターが脳に刺さっている。

背教者

背教者への強烈な嫌悪。

それは原始クリスチャンから始まり、中世あたりでピークを迎える。

宗教改革が背教で終わらず、プロテスタント諸派はキリスト教として認知されている。

背教だの異端だの騒ぐ時代錯誤な人たちは、寛容になった現代ではもはや化石。

JW含む三大異端?も、特殊なキリスト教系団体として一定規模で存続すると思われる。

そのJWがこの現代で、自らの「背教者」に向ける嫌悪は強烈なものがあります。

何が背教か、とは、何を正統とするか、で決まる。キリスト教の伝統教義を正統とすればJWは背教者になり、JW解釈を正統とすれば、棄教しても信仰を持ち続ける人たちが背教者になる。

信仰そのものを捨てれば、援助対象となる「弱い人」とみなしてくれるようですが。

背教者への激しい憎悪で知られるのは、エイレナイオスです。

新約四福音書の確立に最も貢献した人物とされている。

『イレナエウス,アレクサンドリアのクレメンス,およびテルトゥリアヌスなどの人々は,クリスチャンの聖書を構成する文書をヘブライ語聖書と同等の権威を持つ文書として認めていたことが知られています』 (WT洞察)

新約書簡の正典性を語るときに、WT文献でも真っ先に名前が挙がる。彼は、地に四方があるように、正統なる福音書の数は「四」でなければならず、それ以上でもそれ以下でもあってはならない、と強く主張した。

その信念は師のポリュカルポス譲りで、彼の師は、ルカのみを正統な福音書として認めたマルキオンを 「サタンの惣領め!」 と罵ったという。

彼らが最も重要な神学とみなしたのが「ヨハネ」で、その福音書と同じく「主の愛された弟子」によって書かれたと彼らが伝統的にみなすヨハネ第二の手紙は、この教え=正統派のキリスト論を携えてこない者とは 「あいさつさえ交わすな」 と厳命する。

正統派原始クリスチャンは、彼らが背教とみなす教えを信じる者たちとは、語り合うこと、わずかな接触を持つことさえ、病的な恐れを抱いていた。原始クリスチャン、というより原始的なクリスチャンに倣うJWは、それと同じことを狭い世界でやっている。

イエスを信じていても、そのイエスが1914年にキングに任命された、そしてJWトウチタイのみを「奴隷」として全権委任した、という解釈が 「ちょっと違うんじゃないか?」 と言い始める者は 「まむしらの子孫よ!」 と背教者の烙印を押され、血を分けた家族でも強烈な忌避をくらう。

彼らもある程度、成功している。

教育水準の低い途上国で何も知らない新参者を獲得し、先進国での物言わぬ静かな脱落者は後を絶たないが、まとまった分派だけは絶対に作らせない、という点では。
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