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もはや会費制

なんかもう恒例になってきたので最初は?と感じていた信者ももう飼い慣らされているかもしれませんが、また寄付の徴収の発表がありました。両方で約1億3000万円の徴収ナリ。

① 王国会館の「保険代」・・信者一人あたま250円

保険なんて各会衆の責任で入ればいいと思いますが、「この世の保険会社」に儲けさせるよりも、自分たちで徴収しようという腹積もりでしょうか。使わなかったらまる儲けですからね。せめて250円の算出理由、去年1年間の徴収した金額からの支払い実績をオープンにしてください。マジで。

② 巡回監督の車代・・信者一人あたま350円

・・これってこれから毎年徴収するんですか??巡回監督なんてずーっといたのに去年から年間約7500万円もの寄付を別枠で徴収するようになった理由を教えてください。

集会と布教の参加率低下に歯止めがかからない中、公表しないものの寄付額も相当目減りしていることが当然のごとく推測されます。今後予想されるものとしては「BSCC基金」「ベテル基金」など、どんどん増えていって事実上、年間一人あたまいくらの会費制になっていくのでしょうか。

しかもこの手紙、掲示板にさえ貼られていません。大抵の手紙は読まれた後、掲示板に貼られてよく読めコラとか言われるはずが、どうやらこの手紙、「貼るな」と組織から指示されている模様。手軽に写メできる時代ですからね。金だけ取って証拠は隠滅ですか。

会衆ごとに金額は決めるが、各信者は「心の決めたとおり」寄付すればよい、これ聖書的ナリ、とか言ってましたが、いったん会衆から所定の金額を組織へ強制送金させれば、後は実際の寄付が少なくて苦しくなるのは各会衆の地元基金ですからね。組織には確実にお金が入る訳ですか。
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寄付のこと

少し書きます。(私は排斥者です。)

王国会館や大会ホールにかかる費用については、要請があっても構わないと考えています。というのは、一般社会でも「受益者負担」という考えがあります。当然その施設を使っている人たちが負担するものですね。地方自治体の施設使用料と同じと考えても良いでしょう。しかし、問題がひとつ。大会ホールは公共の交通機関では行けないところにあります。私のように障害年金生活者には、毎回高額のタクシー代は捻出できません。王国会館も夜の集会を最後まで聞いていると帰りのバスがありません。いつも時間に合わせて途中退出です。社会的弱者を全く念頭に置いていない建設計画には疑問です。

巡回監督の経費については非聖書的な取り決めです。旅行する奉仕者であったパウロは、一旦旅行を止め、費用をアクラとプリスカ夫妻と共にテント作りをして稼ぎました。パウロの模範を考えるなら、旅行する奉仕について再考すべきでしょうね。私は会衆の決議には参加できませんから様子を見ていただけですが、誰もこの例を挙げて反対する人はいませんでした。聖書より支部からの手紙を重視するとはガッカリでした。

イエスの指示は?

失礼します。長文になります。

パウロの例は全くその通りなんですが,
イエスが弟子たちを宣教旅行に遣わされた際の指示はどうでしょうか。

マタイ10章5-10節とルカ10章1-7節にあるのですが,ここでは,『何も持たずに出かけていく』ように命じられています。なぜなら,必要なものは出かけた先で与えられることになるからとイエスは仰っています。

そして,人々が好意を示して世話してくれるならそれを喜んで受けるべきであるが,えり好みしてはいけないとも述べられています。

ところが,その後イエスは「自分の必要を自分でまかなう準備をして出かけていく」ようにという命令も与えておられます。それは,ルカ22章35-37節です。

この2つの命令は一見すると矛盾しているようですが,弟子たちがどこに遣わされたかということを考えることができます。

マタイ10章,およびルカ10章におけるイエスの指示はマタイ10章5,6節にあるようにイスラエル人の都市に遣わされるときのことです。イスラエル人あるいはユダヤ人は見知らぬ人であっても家に招いても照らしその必要を世話するという習慣があったので,「何も持って行かなくて良い」と指示されたのでしょう。

一方,ルカ22章の指示はイエスがまさに亡くなられる前の晩のことであり,その後弟子たちがどんなことを行うようになっていたかは使徒行伝1章8節にあるように,ユダヤ人以外の広い世界に福音を伝えることだったのです。だから,行く先々で世話を受けることなど期待できない状況だったことでしょう。


ですから,この2つの指示を総合して考えると,もてなしや世話を期待できる状況であれば,そうするように。ただし,自分の都合でえり好みしないように。そして,そういう世話を期待できる状況ではないなら,自分の必要は自分で顧みるよう準備しなさい。ということでしょう。

そういうわけで,「クリスチャン会衆内で,仲間の寄付によって,その生活が支えられている人がいる」ことがキリストの教えにかなっていないとは言えないと思うのですがいかが,でしょう。

ただ,そういうことがあるにしても,たとえばパウロが述べたように費用の面で仲間のクリスチャンに負担をかけないように,またそうすることで有給の奉仕者であるかのような印象を与えないようにするという姿勢も欲しいですわな。

要はバランスでは無いでしょうか。

Re:

お二人の方からご意見をいただきましたが、こういう議論がオープンにできること自体、建設的な事だと思います。

王国会館については、1世紀のクリスチャンは個人の家で集まっていたので、そのような建物自体を数千万円もかけて建てること自体どうなのか、とも思いますが、その話は別にするにしても、王国会館を利用している人がその維持や保険のために、すべての支払いがオープンにされている地元法人の寄付箱に、「心の決めた通りに」寄付をすることに何の問題もないと思います。

しかし、王国会館の建設・維持は地元の費用と責任で行うはずが、なぜか何年か前から「組織」が首をつっこんできて「保険代」の名目で信者一人あたまの寄付を事実上徴収しています。もっともらく聞こえる目的であれ会衆に決議を取らせて毎年一定額を送金させる時点で、エホ証の寄付はすべて自発的だ、などとは言えないのではないでしょうか。せめて会衆同様、支払い実績をオープンにしてほしいですね。

もう一人の方の「イエスの指示」については、その通りだと思います。

テレビ番組で、ある日本人がアフリカで、人々の暮らしの生命線である家畜を無料で診察し治療するボランティアの獣医として活動していることが紹介されていました。その人の活動費と生活費は、その人を支援したいと願う有志の人々によって賄われていました。そういう「人」が存在すること自体に自分が反対する理由などありません。

自分が疑問に思うのはその「目的」と寄付の「徴収方法」です。お二人とも同意してくださっていますが、まず巡回監督という「制度・立場=階級」が聖書的なのか、という点。

また、何のために「世界的な業」という何にでも使える名目のための寄付箱があるのか、という点。「世界的な業」から支出される項目など多数あるはずで、何にいくら使っているのかオープンにしていないのは組織の方です。記事でも書きましたが、ある地方での食糧難に苦しむ仲間のために臨時の寄付を集めた、という前例はありますが、TOAAだのKHAAだの「定常的な科目料」を小出しで別枠にして会衆に決議を取らせ、金額まで指定して半強制的に毎年億単位の金を徴収する最近のやり方が「聖書的」であるとはとても思えません。

ほとんどの会衆では指定された通りの一人あたま×信者数の金額を送金せざるを得ないと思いますが、組織の方は「各会衆は信者の意思(=決議)で金額を決めて『自発的に』寄付をしている。強制はしていない」っていうんでしょうね。手紙すら掲示しませんから。
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