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歴史的記事

昨日のものみの塔研究記事について。

「神がわたしのために書いてくださったんだ!」・・エホ証統治体という人間が書いた印刷物を、それを書いた統治体自身が神の地位にまで高める冒涜的な表現についてはすでに書きましたが、改めて記事全体を見ると、酷い内容でした。

「わたしはどんなにあなたの律法を愛していることでしょう」

詩篇を書いた筆者が愛していたのは神の律法です。人が書いたものではありません。

でも、この記事での統治体の説明はこうなっています。

「エホバはわたしたちを強めるため、出版物のかたちで霊的食物を豊かに与えてくださっています・・エホバはそうした備えを用いて、わたしたちを導いておられるのです」

おや?いつのまにか、神の律法が「出版物」にすり替わっています。

この記事では聖書そっちのけで、ただひたすら、統治体の出版物のために行われている翻訳、印刷、発送などの作業が列挙され、賛美されています。

ただ、この号全体を見ると、前半の2つの記事では「聖書、聖書」と続き、大本命の後半の2つの記事で「聖書」を「統治体の出版物」にすり替えて組織、組織につなげるという、聖書無視の批判を受けても反論できる理論武装と予防線で固めた、非常に巧妙な作りになっています。

この記事は、エホ証統治体の出版物がついに聖書そのものよりも高められたことをはっきりと示す、エホ証統治体が超えてはならない一線を完全に踏み超えた、ある意味で歴史的な記事かもしれません。

「わたしはどんなに統治体の出版物を愛していることでしょう。それは一日中わたしの思いとなっています」
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無視

最近、キリストの存在と教えが無視されてますね。
故意にとは思いたくありませんが。

私たちは
■エホバ神に献身しました
■御子イエス・キリストの弟子となりました
なのですが。

イエスは『わたしを通して父に近づく』ことを弟子たちに教えられました。弟子たち→イエス→エホバという経路で近づく取り決めです。最近の考え方は、“エホバの証人たち→エホバ” でよいと主張しているようで、絶対的にキリストを信頼している私には悲しいことです。

Re: 無視

エホ証になる人は「神に献身し、キリストの弟子となる」つもりで洗礼を受けますが、現実はそうではなく、幸か不幸かそれに気づく人が増えています。その傾向は最近ますます強まっているように自分も感じます。次回の記事でそのことを書こうと思います。
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