輸血について①

エホバの証人が輸血を拒否する理由は簡単であると同時に、難しい。

簡単に言えば聖書が「血を避けよ」と書いているから。

ではなぜ聖書が血を避けるよう命じているかというと、キリスト教の根幹を成す「贖罪」の概念と関わりがあり、説明は難しい。いずれにしても、彼らはその「血を避けよ」という文句を取り出して、その命令は輸血という医療行為にも適用されると解釈する。

この輸血禁止の解釈についても、エホバの証人は場当たり的な解釈の変更を繰り返してきた。

近年は、輸血といっても、血液中の必要な成分だけを使用する「成分(部分?)輸血」というものもあるらしい。さて、その成分輸血についてのエホバの証人の統治体の現在の解釈はこう。

「血液成分の内、血漿・白血球・赤血球・血小板の4つを主要成分とし、この4つの成分の輸血は全面的に禁止するが、それよりも細かく分離された血液由来の成分は個人の判断で受け入れてもよい」

その理由は、「血液の成分が分離されてゆくある時点で、その成分はもはや血を表わさなくなっていると考える人もいるから」だそうだ。

うん?すぐに浮かぶ疑問が2つ。

どの時点で「主要成分」ではなくなり、血を表わさなくなるかの聖書的根拠は?それって統治体のさじ加減一つでは?

もう1つ。聖書は動物を屠った後の血は贖罪の儀式以外には使用してはならず、動物を食用とする場合でも血はすべて地面に注ぎ出さねばならない、と教えている。これを現代の輸血という医療行為にも適用するなら、どんなに細かく分離しようが、血液からしか取り出すことができず、医療行為という明確な目的のために血液から意図的に取り出された成分は受け入れちゃダメなんじゃないの??しかも、体外に出た血を地面に注ぎ出さずに献血した人の血液からですよ?あなたたち献血はするんですか?

統治体の答えは「それはその人個人の良心であり、他の人に押し付けてはならない」

じゃあ、「血を避けよ」という聖書の命令が現代の輸血という医療行為に適用されるかどうかも個人の判断にすればいいじゃねーか!

結局、エホバの証人が聖書の教えではなく、人間の奴隷になっている例の一つ。

エホバの証人として伝道することには、エホバ様を愛しましょう、だけでなく、こうした命に関わる問題においても、統治体のさじ加減一つの解釈を、命を懸けてでも家族から縁を切られてでも真理だと認めるよう勧めることも含まれる。
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