do's and don'ts

ここ何年かのものみの塔記事の質の低下は酷い。

「してはならない」か「しなければならない」の二択が大半を占める。
信者の行動を統制するものばかり。

「真理(独自の聖書解釈)」についてはもう出尽くした感があるのでネタ切れなんでしょうが、純粋に真理を追究していく姿勢を失わなければまだまだ書くことはいくらでもあると思うのですが、彼らの関心は「組織拡大」「権力保持」「信者統制」でしかなくなっていることを最近の記事からひしひしと感じます。

たとえば、最近号の信者向けものみの塔はこんな感じ。

① 主題「あなた方は神聖な者とされた」
副主題1「悪い交わりを避けなさい」(集会、布教を促す“友”を選べ)
副主題2「神権的な取り決めを支持しなさい」(とにかく寄付しろ)
副主題3「霊的な事柄を第一にしなさい」(集会、布教を何よりも優先させろ)

↑のような「do’s and don’ts」(しろ、と、するな)の記事が延々と続きます。
うつ病になりそうです。

「天の王国はりっぱな真珠を探し求める旅商人のようです。価の高い真珠を一つ見つけると、去って行って自分の持つすべてのものを即座に売り、それからそれを買いました」

イエスがこのたとえで教えたように、人は本当に価値あるものを見つけたと確信したとき、「どう行動すべきか」について他の人から指示される必要などありません。それを手に入れ、追求しようとします。

集会・布教の参加率という「数字」の低下に歯止めがかからない・・エホ証信者にも「真理(エホ証聖書解釈)」を価値あるものと思えなくなっている人が増えています。

でも、末端の信者がその「疑い」を口にすることは、まずありません。どんなに親しいと思っていた友人だろうが家族だろうが、組織への忠誠が優先されるので、長老や巡回監督にチクられてお疲れ☆的なことになるからです。

なので、集会参加率や布教時間の低下を数字でチェックされて、長老やら巡回監督やらに「してほしくもない牧羊(家庭訪問)」に来られると、口から出てくる言葉としては「仕事が忙しくて・・」「体調が悪くて・・」「親の世話が・・」となります。

数字ばかりを見てそれを見抜けない長老や監督がそのまま組織に報告するので、今回のような「とにかくしろ」という記事ばかりが出るし、経験談も「失業して仕事なくても布教はやめません♪」「死にそうな病気でも開拓してます♪」などの悲惨さアピールばかり。ゲンナリします。

信者が自由に聖書を研究し発言できる空気を排除し、都合よく解釈を変えそれに異議を唱えれば異端として排斥する・・そんなことを何十年もやってきたツケが回ってきているような気がします。大部分の信者はついてきているはずだ、との驕りから、実際は相当数の信者に「真理」そのものが疑われかかっていることの深刻さを認識できずにいるのでしょう。
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