エホバの証人は預言者か

Yes⇒では、宣伝したことがことごとく外れてきたのはなぜですか

No⇒では、モーセやエレミヤといった預言者を自分たちに適用するのはなぜですか


エホ証統治体は宣伝したことが外れると、「期待しただけで自分たちは預言者ではない」と言い訳し、かといって自分たちの権威に反抗すると、「預言者モーセに反抗した反逆者は神に裁かれた」という旧約聖書の事例を引き合いに出し、服従を要求してきます。

このように、預言者ではないと言いながら、自らの権力基盤を強化し、また信者を布教に駆り立てようとするとき、大好きな旧約聖書の預言者の記述を自らに適用します。

実際、現在エホ証が毎週の集会で使っている教材は預言者エレミヤをこれでもか、とウンザリするくらい現代のエホ証に無理やり適用したものです。

例えば、「預言者エレミヤは郷里アナトテの人々から迫害された」という記述を、「現代のエホ証も家族や職場の人間から反対される」と適用し、職場の同僚からヤな顔をされながら集会に出かけようとするエホ証の写真を掲載します。

集会や布教のための多少の決まり事が必要なのはある程度理解できますが、人間が決めたことに強制力を持たせてよいのでしょうか。聖書は「集まり合うことをやめたりしないように」としか書いていないので、それを⇒「統治体が集会は週何回と決めれば、何が何でも、家族や同僚に迷惑をかけようがヤな顔されようが、絶対に休んではならない」「だって預言者エレミヤも郷里の人々から迫害されたから、お前らもそれくらいの反対に耐えろ」、というのは話が飛躍しすぎていますし、何よりも「あなたたち預言者なんですか?」と尋ねてみたくなります。

宣伝し、教えるよう命令されている肝心の教義が、まさに神の預言者のごとく、すべて的中・・していればまだ救われますが、10年20年単位でコロコロ「調整」されますからね。

家族から縁を切られようが、職場で村八分にされようが、結婚して子どもを作る時間的・経済的余裕がなくなろうが、とにかく「布教に人生のすべてを費やす」というトコだけは預言者に見倣え、なんて書く権利があるのか、普通にギモンです。
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