何人ミチビイタ?

数字ばかりを重視するエホ証の布教のやり方はどんな実情を生み出しているでしょうか。

「○○人を導きました」

・・布教で勧誘してエホ証にならせた人数を語る時の表現。そして、この数字の多寡でその人の評価が決まります。大会や印刷物中でも決まって「私は○○人をミチビキマシタ」と語られる。

ある出世志向の開拓者が「必要の大きな」会衆に移動します。とにかく誰かをミチビイて、上からの評価をあげたいこの開拓者は1人暮らしの人の良い年配の男性を見つけ「再訪問」します。

この男性は知り合いも親戚づきあいもほとんどなく、毎週足しげく来てくれることがうれしくなって、この開拓者と「聖書研究」を始めます。

さらにすべて車で送り迎えしてくれるというのでエホ証集会に行ってみると、何十人もの人からチヤホヤされ、歓迎される、という人生で一度もしたことのない経験をしてさらにうれしくなり、連れられるがままに布教も始めます。

そんなこんなで「バプテスマ(洗礼)を受けませんか」の誘いに応じ、エホ証になります。

1年後、この開拓者は別の会衆に「栄転」します。すると長老たちは、この身寄りのない信者の送迎や世話を誰に押し付けるべきかに頭を悩ませます。最初はこの人をチヤホヤしてたはずのエホ証にも、他人の手柄であるこの人を残りの人生世話し、週何回も集会やら布教やらの送迎をしたい、と本気で思う人は実はあまりいない。

この人自身も、集会に出始めたころの上っ面のチヤホヤ感がなくなり、会衆のお荷物的な存在になりつつあることを感じ始める。やがて集会を休みがちになり、最終的に活動を止めます。

それでもこの人はミチビイた数にカウントされる。出世志向の開拓者は行く先々で「私は○○人をミチビキました」と嬉々として語るのでしょう。

これが、数がすべてのエホ証の布教の現実を示す、よくある一般的な例です。

毎年3000人もの人間が洗礼を受けているのに、それに見合う分だけ増加していないどころか、減少している一因は、数がすべてのいい加減な「ミチビキ」方をしているからでしょう。「この1時間ごとに、世界中で○○人が洗礼を受けています!」とお得意の数字で自慢しますが、その同じ1時間で何人がエホ証をやめているのかもぜひ公表してほしいところです。
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No title

まー ザルに集めてますから(笑)

きっと、日本支部にとっても、統治体訪問は
緊張してお出迎え→機嫌良く過ごしてもらって→自分の印象もよく覚えてもらって→ご機嫌に帰米→ふぅ~やれやれ、今回も無事に終わった~

みたいな感じで、ちょうど、巡回訪問を迎える長老たちと同じような気分じゃないでしょうか

下手に問題の中枢に触れると(統治体の方針がぶれてるとか、終わりが来ないこととか)自分の首が飛びますからね 保身第一ですよ。

末端の雰囲気は上層部のそれを反映しているように思います。
システムは同じですからね~
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