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ものみの塔2013年7月15日③

今回の“調整”で忠実な奴隷がエホ証統治体だけだというなら、当然出てくる別のツッコミどころ。

「主人は彼(=忠実な奴隷)を任命してすべてのものをつかさどらせる」

統治体はこの部分を、イエスと共に天で支配する権威を授けられる、と解釈しています。それもどうかと思いますが、一応その解釈に付き合ってみると、その権威は統治体だけに与えられることになってしまいます。

しかし、非常に分かりにくいことに、統治体はこの部分は自分たちだけではない、と言います。聖書巻末の啓示の書では、天で支配するのは14万4千人と書かれていて、統治体はこれを文字通りの数と解釈しているので、それと矛盾してしまうからです。

それに対する、統治体の苦し紛れのつじつま合わせは、以下の一文です。

「少人数の一団に約束された報いが、最終的に他の人にも与えられる場合があります」

例によって「そういう場合もあるから☆」という、もう“根拠”というより、好き勝手なことをどうとでも言えてしまう言い回しですが・・

しかし、そんな例外があてはまらないことをイエスの言葉がはっきりと示しています。

「主人が到着して、そうしているところをみるならば、その奴隷は幸いです」

この約束には、はっきりと条件が指定されています。そうしている(=召使いたちに食物を与えている)ところをイエスがみるなら、と書いていないでしょうか。

今回の解釈で、エホ証統治体は仲間であるはずの天への召しを受けた信者を「召使」に降格しました。事実上「お前たちはもう『奴隷』ではなく『召使』だ。この仕事はオレたちだけのものだ」と言っていることになります。自分たちの解釈通りにイエスが来なかったために、仲間の奴隷を打ちたたくよこしまな奴隷のようです。

仮にこのたとえ話が、信者に「霊的食物」を与えることであり、「そうしている」のがエホ証統治体だけである、と主張するなら、どうして他の信者が主人であるイエスから「よくやった!」と言われることがあるのでしょうか。
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初めまして

私も読んでて思いました。
14万4千人が天で支配すると解釈しているのに、忠実で思慮深い奴隷だけが天で支配することになり矛盾します。

また、忠実で思慮深い「奴隷」は単数形だし、各地の個々の成員がすべての持ち物をつかさどるのは不可能だから、一団である統治体がそれだという解釈もしていますので、今回の変更により、14万4千人は皆統治体でなければならないという点でも矛盾します。

統治体は色々な根拠を探してこの奴隷が統治体に当てはめられないかと論理を組み立てていますが、動機がダメなので、結局さらなる矛盾を引き起こしています。

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Re: 初めまして

「動機がダメ」とは全くその通りだと思います。彼らはもはや「聖書研究者」だった頃の、聖書をありのままに理解したいという純粋な願いは持ち合わせていません。「エホバの証人」という宗教組織、さらにはそのトップである統治体の体面を守ることが神の評判を守ることになると、どこまで本気で勘違いしているのかはよく分かりませんが、特に最近の「新しい光」は、時の経過と共に外れる解釈と生じる矛盾を都合よくつじつま合わせるだけのものになり下がりました。

しかもご指摘のようにつじつまさえ合わず、さらなる矛盾を生み出す・・解釈としてはもう完全に行き詰っていますが、ここ数年、しばらくトーンダウンしていた1914年やBC607年を撤回しない方針を固め、さらに今回のように「世代交代」した統治体の独占的権力基盤を強化するような解釈変更を打ち出しています。先進国での勢いが完全に衰えている中で、これを踏み台として何か大きな一手を打ってきそうな気もしますが、ネットの力でもはや「組織と人間の奴隷」になり下がっていることに気付き始めている信者も増えているように思います。「エホバの春」は来るのでしょうか。
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