ものみの塔2013年7月15日②

エホ証統治体が自分たちの宗教権威の“根拠”としてここ何十年も主張してきたのは、使徒15章のエルサレム会議の1点張り、しかも、それも信者の寄付を巻き上げて生活していた権力集団では決してなく、聖書に1回だけ記録されている臨時の会合にすぎないものです。さすがにもうそれだけでは心もとないと思ったのか、今回ようやく新たな“根拠”を使って来ました。かなり時間をかけて考えて探したのでしょう。それはなんと・・!

イエスが奇跡で数千人に食事をさせたとき、少数の弟子たちにパンを配らせました♪という話・・

・・統治体と取り巻きのみなさんが密室会議で何年も考えてこれくらいの事しか見つからなかったのでしょうか。それもそのはず、聖書には少数の人間が他の信者に宗教権力を振ってもいいなど、書いていないので。

あまりにくだらない根拠ですが、一応当たり前の反応として「弟子たちは配っただけじゃないですか?」と言いたくなります。パンを製造・生産した訳ではありません。パンを配っただけのくせに偉そうに「自分たちの働きに感謝するように」とか「自分たちを忠節に支持するように」とも言っていません。

自分たちが書いた印刷物がイエス様からのものです♪と主張するのは勝手ですが、この話はその“根拠”になどなり得ません。弟子たちがイエスのいない時に群衆からの支持と服従を取りつけようとして自分たちでパンを作り、「前にも同じようなことがあったでしょ?だからこれもイエス様からのものだ!」と主張して配るのと同じです。

飢えた群衆のためにパンを作り、与えるだけなら純粋に褒められる行為ですが、それをイエス様からのもの!と勝手に主張し群衆の上に立とうとするならそれは間違いなく冒涜的行為です。

十万歩くらい譲ってエホ証の印刷物を“霊的食物”とするとして、弟子たちはそれを配っただけなので、この話を無理やり今のエホ証に適用するというなら、会衆で雑誌をオバチャンたちに配っている雑誌係の信者も『奴隷級』になります。あと、非信者のトラックの運転手も奴隷級になっちゃうんでしょうか♪

数千人に奇跡で食事をさせた、というこの聖書の話は、イエスの憐みと奇跡を行う力を示すもので、弟子たちがパンを配ったというくだりははっきり言ってどうでもいいのですが、イエスを差し置いて、配った弟子たちの方に強引に注目させてそれを自分たちの宗教権威にこじつけるあたりが必死すぎてイタイです。

17ページの挿絵では「多くの人が養われた」という説明と共に、パンを配る弟子がどアップになっていて、まるで弟子たちが群衆を養っているかのようです。もはや奇跡を行いそのパンを生み出したはずのイエス様はどこにもいません。イエス様もびっくりですね。
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