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統治体の責任①

このサイトでも何度も取り上げている統治体の責任問題

ある擁護系サイトの反論⇒『宗教権威はその教義また聖典の解釈について責任を問われないのが普通。責任を免除されることで自由な議論ができる』

・・宗教の専門家ではないので普通はこうとか言えるほど知りませんが、自分たちに都合が悪いと「他の宗教も同じですよ」とすり替える方法は公式ページに似ています。

そもそも、新約聖書をどう読もうが、聖典の解釈や教義について他の信者の上に君臨し、全信者に拘束力がある意思決定権を持つ「宗教権威」が存在したことなど、どこにも書かれていない。

エホ証統治体がお決まりのように根拠としてあげる唯一の事例が「割礼問題」が議論された使徒15章のエルサレム会議。それについてはすでに書きましたが、そこでは「非割礼の異邦人に神の聖霊が注がれた」という誰の目にも見え、理解できるあまりにも明らかな事実が報告され、確認され、そのことが各地に報告されたにすぎない。誰が、どういう発言をして、どのような事実が報告されて結論に至ったのかがすべてオープンにされていて、密室での議論や聖典の解釈だけで何かを決定してはない。

エホ証は何回か、時にはたった1、2回の事例がある、というだけで、それを根拠に「統治体」「巡回監督」「審理委員会⇒排斥」「奉仕報告」などの聖書に出てこない名称をつけて規則・制度化する。「事例がある」というのと「制度として存在していた」というのは全く別次元の問題だと思うのですが・・

だから「宗教権威は普通こうあるべき」とか、どうでもいいですし、そのことに反論するつもりはありません。エホ証が宗教権威という点において他と変わるところのない一宗教であるというのなら結構なことです。

では、自らに責任はないとする「統治体」自身の言い訳についてはどうか。それは次回。
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