1914年④

続けて2番目の要素。エルサレム滅亡はBC607年か?

これはもう散々いろんな所で叩かれまくっているが、一般の歴史ではBC586年とされている。ではなぜエホ証はBC607年を主張するのか。

ペルシャ王キュロスがバビロンを滅ぼしユダヤ人を含む異国人の捕虜を解放したのが歴史ではBC539年とされている。そしてユダヤ人がエルサレムに帰還し、自分たちの宗教を再興したのがBC537年と推測する。

そして聖書にはユダヤ人がバビロンで捕囚となる期間が70年とある。それでBC537年から70年を逆算してエルサレムの滅びがBC607年であると主張。

さて、これは歴史と食い違う。エホ証の主張は単純にこう。

「何千年も前の一般の歴史は間違っていることもあり、聖書が70年って言ってるんだからそれを信じるべき」

確かにこう主張されるとどちらを信じるかの水かけ論になってしまい、議論のしようがない。エホ証を攻撃する人はエルサレム滅亡がBC586年であることを示す史料を山という程持ち出すが、エホ証には完全に平行線。「聖書を信じます」の一言。

じゃあそのエホ証に聞いてみましょう。

「キュロスがバビロン滅ぼしたのがBC539年って信じているのはどうして??」

こっちだって西暦での年号までは聖書に書いてあるはずがない。聖書には「キュロス王の第一年」とあるだけ。これをBC539年とする理由として、エホ証の教材にはこうある。

「ペルシャ人キュロスによるバビロン転覆の年として様々な史料により支持されている539年という年です」

ばっちり一般の歴史を信じちゃってるじゃん?一昔まではこの年を「絶対日付」とまで称し、アダムの創造をBC4026年とするなど聖書中のあらゆる出来事をこの年を起点に計算している。

その一方で、エルサレム滅亡もBC586年であると「様々な史料により支持されている」ことを認めた、おそらく唯一の記事が1981年発行の教材(ここでも付録扱い)にあるが、「古代近東の年代学の複雑さを考えれば」「それが間違っていることを否定できる歴史家はいない」とある。

だったら、なんで同じ古代近東の歴史であるはずのBC539年は「絶対に」信頼できるんだよ!

1914年に都合のいい方は歴史を信じ、悪い方は「歴史は信用ならん」「聖書を信じろ」のゴリ押し。

一般の歴史がそれほど信用ならないと言うなら、聖書そのものに書かれていない年号については断定的な解釈しないでくださいね。そんな都合のいい解釈に人生賭けれませんよ?

結局エホ証は聖書を信じていると思い込まされつつ、人間の解釈を信じている例。
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