「神の声だ!人の声ではない!」

他ブログでも指摘されていたが、最近のものみの塔にはえげつない表現が多い。

「きっと皆さんも出版物を読んで『これが欲しかった!エホバがわたしたちのために書いてくださったんだ』と感じたことがあるでしょう」

今までも組織の印刷物は神の備えやら霊的食物やら、という主張はあったが、最近はもっとダイレクトにえげつなく『エホバが書いてくださった!』とか『エホバの言われたとおりに』という表現が増えている。

クリスチャンが「神が書いた」として認めるのは聖書。さらに聖書の一部を書いた使徒パウロでも「神は昔には預言者によって語られましたが、これらの日の終わりには、み子によってわたしたちに語られました」と、「神が自分によって語った」と主張してはいない。後にパウロは「聖書全体は神の霊感によって書かれた」とは言ったが、当時の聖書とは主に預言者たちが書いた旧約聖書の希望や預言を指す。

しかし彼らは使徒や聖書さえ差し置いて「自分たちが書けば神が書いた」ことになる、と言う。もはや神のお告げらしき幻聴でも聞こえてしまっているのでしょうか。

聖書によれば、ユダヤ人の王ヘロデは「神の声だ!人の声でない!」というへつらいの称賛を受けたとき、天使に打たれて死んだ。自分がそう言ったのではなく、民衆からの冒涜的な称賛をとがめずに受け入れただけで、その声をあげた民衆ではなく、ヘロデの方が神に裁かれた。

「エホバが書いてくださった!」と言う文言を「あなたもそう感じてますよね?」と押しつけがましく自分たちでねつ造して載せてますからね。統治体は邪悪なヘロデなんかと違う、だって世界中の(哀れな)信者を駒のごとく使って伝道させる、というグレートな業を行っているからそれぐらいの放言は当然、という反論が「組織に忠実」な信者からは帰ってきそうですが・・

最近こうしたえげつない表現が増えているのは、ものみの塔を「一般向け」と「信者向け」に分けたので、「信者向け」にはフルスイングで書けるようになったからでしょうか。
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霊的食物はほんとに霊的?

以前の冊子に統治体は日常の雑事から解放され霊的な事柄に専念できるようになりましたと書かれてたけど
これは内部抗争のすえ冊子協会が統治体にとって変わり、すべての権限を持つようになったということじゃないかな
もともと統治体は霊的な事柄しか行なってなかったんだから敗者が日の目をみなくなる事への布石じゃないのかな
とすれば現在統治体は活動しておらず霊的食物とよばれる有難い言葉は冊子協会内の油注がれていない只のエホバの証人
によって作られ提供されているのかな。

Re: 霊的食物はほんとに霊的?

『統治体の方が権力を失い、「ものみの塔協会」という法人を運営している「油そそがれていない信者」の方が実権を握っている』・・興味深い仮説ですね。考えたことなかったです。

確かに、ものみの塔を書くことのかなりの部分に「油そそがれていない信者」が関わっている、という話は聞いたことあります。どちらにしてもエホ証がトップダウンの独裁組織であることには変わりないですね。

No title

実際、今の統治体はものみの塔の執筆をほとんど(全く?)していないそうですよ。
ブルックリンではよく知られている情報のようです。
すべて「大群衆」が書いていて、統治体はサインするだけみたいです。

No title

いつも楽しくよませてもらっています 現役ふらふら者です
今日は時間があるので過去の記事を読み返してみると
このような一文がありました
「当時の「聖書」とは主に預言者たちが書いた「旧約聖書」の希望や預言を指す」
この情報はどこからのものなのでしょうか?

私自身、聖書全体は神の霊感を受けているとは思いません
長い年月をかけて導かれた人間の処世訓 メタファー
なのではないかと思っています

Re: No title

>milestoneさん、初めまして

「聖書全体は神の霊感を受けたもの」(テモテ第二3章16節)

「使徒パウロは,聖書に卓越した価値があることを,上のように述べました。なんと力強い言葉でしょう。もちろん,この場合の聖書とは,当時入手できた部分,いわゆる旧約聖書のことです。とはいえ論理的に言って,パウロのこの言葉は,西暦1世紀にイエスの忠実な弟子たちが書いたものを含む,聖書66冊全巻に同じように当てはまります」-ものみの塔2010年3/1号3P

パウロがこの言葉を書いた当時、まだ新約部分の正典なるものは存在しませんでした。文字通りの「手紙」でした。1世紀のギリシャ語を話すユダヤ人や異邦人にとっての「聖書」とは旧約ギリシャ語訳の「70人訳」である、という点はJWを含めだれもが一致しているようですね。

↑の後半部分にあるように、福音主義から派生したJWも今ではこの言葉を新約書簡にも適用し、その全てが無謬であるとの権威を付して強力に絶対視しています。

自分も現在の聖書を信じていますが、極端すぎる原理主義は所々の細かな一字一句の解釈で信者を拘束してしまうリスクがあることをJWの例が示していると感じています。
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