主の業②

自分はこれだけのことをやってきた、と業績を枚挙してどんな報いがあるか、と尋ねた武帝に達磨大師は一言、「何の功徳もない」と答えたそうです。

それが無功徳らしい。


『その日には、多くの者がわたしに向かって、「主よ、主よ、わたしたちはあなたの名において預言し、あなたの名において悪霊たちを追い出し、あなたの名において強力な業を数多く成し遂げなかったでしょうか」 と言うでしょう。しかしその時、わたしは彼らにはっきり言います。わたしは決してあなた方を知らない、不法を働く者たちよ、わたしから離れ去れ、と』

↑業績そのものは関係ない、またはその見返りとしての「報い」ではない


『その時、義なる者たちはこう答えるでしょう。「主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えておられるのを見て食べ物を差し上げたり、渇いておられるのを見て飲む物を差し上げたりしたでしょうか。いつわたしたちは、あなたがよそからの人であるのを見て温かく迎えたり、裸なのを見て衣を差し上げたりしたでしょうか。いつわたしたちは、あなたが病気であったり獄におられたりするのを見てみもとに参りましたか」。すると、王は答えて言うでしょう、「あなた方に真実に言いますが、これらわたしの兄弟のうち最も小さな者の一人にしたのは、それだけわたしに対してしたのです」』

↑しかし当人には全くその自覚(打算)がない


『わたしの愛する兄弟たち、あなた方の労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから、堅く立って、動かされることなく、主の業においてなすべき事を常にいっぱいに持ちなさい』

↑無駄かどうかは人には分からない、信仰において為される言動はすべて「主の業」である


東寄りに解釈するとこんな感じです。


無功徳(無利益)どころか、御利益成果主義ビジネス宗教に成り果てたJW教。

信者は毎日、「楽園に入れるかどうか」「永遠の命やえほば様の是認を失わないかどうか」と病的に恐れながら、「ふさわしいかどうか」で自分と他信者の言動を裁いて生きている。

上昇志向信者は「どうやったらさらなるトッケンが得られるか」で心を病ませる。

まあ本人たちがそれでいいならがんばってね、としかいいようがないが。
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