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相補性

ヤハウィストだの祭司文書だの、というくくり方はあまり好きではありません。

エホバの証人はクリスチャンではなく、エホヴィストと呼んで差し支えないと思います。

本題ですが、創世記をWT解釈に縛られずに読み直してみると、いろんな読み方ができて面白い。聖典を読むのが「面白い」という発想がもう不敬なんですが。


次いでエホバ神は言われた、「人が独りのままでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼を補うものとなる助け手を造ろう」。さて、エホバ神は野のあらゆる野獣と天のあらゆる飛ぶ生き物を地面から形造っておられたが、人がそれぞれを何と呼ぶかを見るため、それらを彼のところに連れて来られるようになった。そして、人がそれを、すなわちそれぞれの生きた魂をどのように呼んでも、それがすべてその名となった。

それで人は、すべての家畜と天の飛ぶ生き物と野のあらゆる野獣に名を付けていたが、人のためには、これを補うものとなる助け手は見いだされなかった。そこでエホバ神は深い眠りを人に臨ませ、彼が眠っている間に、そのあばら骨の一つを取り、次いでそこの肉をふさがれた。

それからエホバ神は、人から取ったあばら骨を女に造り上げ、それを人のところに連れて来られた。


「助け手を造ろう」・・WT解釈ではここだけ引っ張り出されます。

いわゆるヤハウィスト側の伝承では、地面を耕すアダムが「独りのままでいるのは良くない」とされていて、その時点ではヒトの伴侶に限定されていないんですね。まだ知恵の実を食ってないので、善悪を知る点で「ワレワレの一人」になっていない。

創世記2章4節以降の伝承では創造の順番が逆で、ヒトを造った「後に」ヤハウェはいろんな生き物を地面からせっせと造り続けています(未完了形:新世界訳脚注)。WT洞察も、アダムの創造後もまだ何か造っていたのかも?と認めざるをえない書き方です。

そして、いろいろ造ってはヒトのところに連れてきてどう名づけるかを見ます。

が、名づけはするが、助け手は見出されませんでした。桃太郎は鬼退治に「独りのまま」で行かず、サルとイヌとキジを相方にしましたが、アダムはどれを見てもグッとこなかったようです。

そこでヤハウェは思いつきます。同じホネから造って姿形の似たクローンにしてみよう。

そしてその「生き物」も連れてきて、どう名づけるかを見ます。

オトコとオンナの最初の出会いです。
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