お慰め宗教

ニーチェがキリスト教を嫌った理由の一つは、執拗な罪悪感情と劣等感をウィルスのようにばらまいて精神病患者にするキリスト教は、人類の進歩に百害あって一利なし、という感じです。


でもイエズスのスピリットには割と共感していて、何より嫌いなのはパウロ、というかパウロを原理的に解釈するキリスト教権威です。

「この世のすべてはくず」というパウロ発言を、現代でもまんま適用しちゃうのがJWです。

大学教育はペットの糞尿とかね。

学業、出世、研究、蓄財、そんなに大それたことでもなく、ただ家族や後世により良いものを残したいという自然の感情でさえ、悪しき物質主義、というグノーシスぽい霊性?とやらで断罪する。

「不完全な人間」は何の努力をしたところでムダという、せっかく創世記がヒトを神の像に造って「すべては良い」と宣言したのに、政治でも、技術でも、思想でも、「より良きもの」を生み出そうとするスピリットがヒトを進歩させてきたのに、パウロの原罪解釈に病的に囚われてしまう。

罪人、病人、弱者、としての劣等感や悲観やひがみ根性を植え付け、宗教権威に隷属させる。

聖書とは弱者の視点で読むべき本、とは書きました。

権力の正当化ではなく、権力の抑止となるべき本です。

でも、弱者をより弱者思考にならせるために使う本でもないと思います。「医者は病んでいる人に必要」(イエス)だが、病んでいる人をより病ませて依存させる詐欺医者はいらない。ルカ8章43節に出てくる女性のように、この組織に全生涯や全財産を使い果たしたところで、絵に描いた餅のような「夢」を貰えるだけです。

弱者に寄り添うキリスト教精神は尊いものですが、愛されること、気遣われること、慰められることばかりを要求し、何かや誰かに依存しないと生きていけない人をわざわざ作り上げる精神ではない。イエスは弱き者が弱きまま別の何かに依存することではなく、宗教者に罪人と蔑まれた者たちの魂の解放を説いた。


問題にまみれてできることが限られているあなたも神の目に貴重です?

えーと、あなた方が蔑む「この世の人」はですね、自分が何かカミ?なるものの目に貴重な存在でありたい、なんて大仰な願望は刷り込まれていないし、さらに「正しい業」で評価されて大虐殺を生き残りたい、という驕った自己中願望が前提にあるから、いりもしない「慰め」や「励まし」が必要になる。

慰めが必要になるような考えを刷り込み、その慰めが与えられているかのような錯覚に陥る。

目の前の現実は何も変わりはしない、というか宗教にのめり込むと現実は普通に悪化する。

それは悪魔の妨害であり、それでもこの宗教を第一にするなら全宇宙主権(笑)を擁護できる。

家族も、若さも、交友関係も、仕事も、すべてを失った自分にはもうこの組織しかない・・

重度依存者のできあがり。

そろそろ、うつ病を誘発するお慰めキャンペーンはやめた方がいい。
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