アンチクリスト

JWについては擁護できるところがもはや見当たらないのですが、聖書やキリスト教については批判なのか護教なのか、書いてる自分もよく分からない内容になっています。

アンチキリスト(教)と言えば、ニーチェです。

キルケゴールやシュライエルマッハーのように、ニーチェすらある種の護教批判のように解釈する人もいますが、何冊か読んでみた程度では、主にキリスト教を相手に(意識)しながらあれこれ書いている、という印象です。このブログも、自分が関わったというだけのJWというはるかにちっさい団体を反響版にして、似たようなことを飽きずにやってる訳ですが。

そういうアングロサクソン人だかゲルマン人だか、キリスト教絡みの西洋哲学本など、日本人は一切読まなくても社会生活に何の支障もありませんが、そもそも現代日本人とはそんなに関係ないキリスト教思想や聖書解釈に興味があるなら、読んでみるといいと思います。


ニーチェがキリスト教を精神病院扱いしたのは100年以上前で、キリスト教の在り方もこの100年でそれなりに変わってきています。良くも悪くもキリスト教を意識した個所では、キリスト教と関わりのない人が読んでもあまりピンとこないこともあるでしょう。

が、JWと関わると、彼がこきおろした前時代キリスト教の困った部分を、JWはまんま引きずっている、むしろより悪質に歪めている、ことに気づきます。100年前に「最も聖典に字句通り忠実なキリスト教」と称して頑なに孤立路線を取ってきたので、キリスト教の変化(進歩?)に置き去りにされて、時間が100年前から止まっています。


「自分を孤立させる者は・・あらゆる実際的な知恵に逆らって突き進む」


100年で変わったのは、キリスト教スキマ産業カルトが、原理主義の狭いニーズに応えて既存キリスト教市場にちょっぴり割り込めたのと、その組織マネジメントの規則や制度作りです。

明石氏が見切りをつけたように、聖書解釈には何の進歩もない、と言えるでしょう。

「1914年から一世代」が「二世代」になったとか、「忠実な奴隷」がラッセルではなく、ウォーウィック宮殿に棲息するアブラ肥満体セブンになったことくらいですか。

そんなんでキリスト支配100年の証拠!というこじつけ組織賛美本のお勉強が始まるようです。


この100年で、死海文書やナグ・ハマディ文書、各種キリスト教関連の思想文献が発見され、当時の背景についての知識がどんどん深まっていて、「聖書」の厳密な枠組みさえ揺らぎを見せています。様々なスタンスからの「鉄の研ぎ合い」のような比較文献研究によって、原著者たちの意図により近づこうという試みは、これからも続いていくでしょう。

JWはそんなの高等批評だよね(高等批評なんて発想がもう100年前)と、WTしか読めない文盲にさせられて(WTさえ理解できているか怪しい)思考が100年前の原理主義のままです。「ダニエル」や「ヨハネ」が、セレウコス朝に迫害されるユダヤ人や、ローマ帝国に迫害される原始クリスチャン向けに書いた黙示文学を崇めて、この現代で自分たち以外の人間が大虐殺されるハルマゲドンを夢見ています。

100年以上前のニーチェにすら、重度の病人集団、と言われてしまいそうです。

またそれました。そうニーチェの話でした。
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