スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

信仰の父

彼らの夢から醒めても、今さら家を建てたり子をもうけたりはもう遅い、という人もいます。

どうかそれを後悔しないでください。新世界訳使徒7章より。


『そして、その父が死んだ後、神は彼を、そこからあなた方が今住むこの土地に移住させました。でもそこにおいて、相続物となる所有地を少しも彼にお与えになりませんでした。そうです、足の幅ほどもです。ただ、そこを所有地として彼に、そして彼の後その胤に与えることを約束されたのですが、それはまだ彼にひとりも子供のいない時でした』


神がアブラハムを何歳のときに召命したのかは分かりませんが、彼がユーフラテスを渡ったのは、偶像神を崇拝する父テラをメソポタミアの都市ハランで葬ってからです。この組織との関わりを完全に断つ(かの大川を渡る)のは高齢の親を葬ってから、という人もいるでしょう。

組織崇拝者とはいえ、親は親です。それが組織に歪められた愛だったとしても。

子どもができなかった妻の胎がようやく開かれたのは彼女が90歳のときでした。

その子の名は「笑い」と呼ばれました。今はそんなことは起きませんが、人が何歳になっても、神は思いがけない仕方で、いつでも笑いを与えてくれます。

その子からは確かに、一つの民族が生まれました。

しかし肉による割礼は、戒律の奴隷となる子ら、を生み出したにすぎません。

彼の胤また子孫とは、自由の女の子ら、つまり心の割礼を受けた者たちです。

たった一人でも、人が見るもの=像や場所や伝統に依らず、見えざる至高の神を求めるスピリットを受け継ぐ者たちであり、至高の神を騙って他者を外的に統治しようとする者たちではありません。彼は信仰の父であり、血を分けた者への忌避や、殺し合いを奨励するアブラハムの宗教の始祖でもありません。

肉の割礼のように、人に見せる場所ではなく「心の中の秘められた場所」に刻まれるものです。

肉による子孫を残すことができなくても、そのスピリットは「証し」することができます。

彼は生涯で、わずかな土地さえ所有することはありませんでした。足の幅ほどもです。

彼は、はるかに勝った永遠の都(魂の故郷)を想い見て、それを待ち望みました。

業の対価として地面が割り振られるだけの、全体主義の羅苦園よりも勝ったものです(ベテルの部屋割りみたく、「全時間奉仕ウン十年」とかくだらないことで優劣がつけられるんだろうな~)。

彼が待ち望んだものは、真の土台を持つ永遠の都で、その建設者は神です。

一個の命も、わずかな土地も、資産も遺すことができなくても(それらを遺すこともまた無価値ではない)それが惨めな人生だったと後悔する必要はありません。

人が何歳であってもです。

この組織や、組織を崇める者たちに虐げられた方々が、それを後悔することも、恨むことも、呪うことも、恐れることもなく、どうか、心安らかな日々を送れるようにと願います。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

承認待ちコメント

このコメントは管理者の承認待ちです
プロフィール

GUABELLO

Author:GUABELLO
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。