聖典宗教

WTに騙される、キリスト教に騙される、後者の方が幅は広いです。どっちの実害が大きいか、で言うと・・歴史も規模も違うし単純な比較はできませんが、今のISがやってるように異教徒を殺戮し、異端者は火炙りにしたキリスト教は遠い過去のことで、異端者や戒律違反者をこの現代で忌避するのがJWです。

ある福音系牧師の方は、イスラム原理主義(定義が難しいですが、イスラム教支配による主権というくくり)が変わるには、国際世論の高まりに応じて内部からの神学的改革が活性化するのを期待するしかない、と言います。外からの強制は内政干渉や宗教迫害になるからでしょう。

キリスト教もそうやって議論と変革を重ね、今では政教分離がスタンダードになっていると言いますが、一部のキリスト教に今も根強く存在するのは、自分たちこそ他の宗教すべてに優越する唯一の啓示宗教だ、という驕りです。

その優越性は、聖典至上主義の上に成り立ちます。

今さら十字軍の話をしてもね、というのはあるが、イスラム教とキリスト教の歴史は遠い過去のことだと、当事者たちに割り切らせることは容易ではないようです。

あるアメリカ人イスラム教徒(おそらくキリスト教からの改宗者)に、キリスト教徒はイサクをアブラハムの「独り子」だと聖書を改変した罪で地獄に落ちる、とすごまれたことがあります。

別に聖書が「改変」されているとかどうでもいいんですけど。原本が存在しないのに。

成立過程を調べるには奥深い対象ですが、キリスト教神学と同じで、新旧聖書正典化も発展を重ねて確立したものだし、その編纂(改変?)過程のどっからどこまでに神の霊感なるものが働いていたのかという、「神の霊感」の線引きには興味がない。


話を戻すと、彼らにとってコーランが「絶対」であるように、キリスト教でも聖書が「絶対」だ、という前時代的な信仰が根強く、その根本主義がぶつかり合うと収拾つかない。

その至上主義がある限り、キリスト教も平和と寛容と愛を謳いながら、不和と憎しみと恐れの種もまき続け、WTのように、それをこじらせた戒律カルトを生む土壌でもあり続けるでしょう。

コーランが読めるかどうかで判別して処刑するイスラム過激派、教会権威を批判した改革者を火炙りにしたというはるか大昔のカトリック、アロンの処刑された息子を例示して殺されないだけマシだと思えと、「反逆者」への忌避命令を正当化する現代のWT協会・・


世論の高まりに軟化するどころか、主流派のように世間の良識や学識に妥協するなと、内部の情報・思想統制と序列維持に躍起になるのがカルト支配の末期症状です。「自分たちの時が短いことを知り、大きな怒りを抱いて」信者をしつけようとしているかのようです。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

GUABELLO

Author:GUABELLO
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR