忠実で思慮深い奴隷①

エホ証統治体が自分たちへの絶対服従を要求する根拠となっている解釈。

マタイ24章のイエスの例え話に出てくる「忠実な奴隷」=「自分たち」との主張。

最近、エホ証指導部がまた例のごとく場当たり的にこの「忠実な奴隷」の解釈を変更したらしい。

別にこの「奴隷」がだれか、という解釈は割とどうでもいい。

マタイ24章から25章にかけてイエスは自分の再臨についていろんな例えを述べている。10人の処女の話や、商売をする奴隷たちの話など、すべて共通して言えることは自分の再臨を注意深く待ち続けるように、という教訓。

主人の到着を迎える女奴隷なら灯の油を切らさないようにするし、商売をする奴隷なら主人の到着まで頑張って商売する、家の世話を任された奴隷なら使用人に食事を準備する。

誰にでも分かる身近な使用人を用いた教訓的な例え。

都合の悪い予言やよく分からないほとんどの聖句はスルーする一方で、「組織」の権威や体制を支持する教化に役立つとみれば、どんな話や細かな言葉尻でも利用し、徹底的に、恣意的に意味を付す。

一応、次回はこの解釈変更と、その解釈そのものの矛盾について考察します。
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