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雲の中に

神学や史的検証の本は少し飽きてきた(笑)こともあり、読んでみたいと思った人の本があるのですが少しお高い…ということで検索すると幾らか引用があったので、主たる自分のブログの趣旨を超えない部分引用の範囲で、著者の宣伝になればと思い拡散します(まだ買ってないのに)。オズワルド・チェンバーズ(1874~1917)という人です。

『私たちがある信条の擁護者になるとき、何かが死ぬ。つまり、神を信じているのではなく、神について自分の信じていることを信じているにすぎない』

教条主義になること、解釈論争すること、への戒めでしょうか。彼は、まず自分が属するキリスト教への自戒の言葉が多いところが読んでみたいと思う理由です。


『イエスは弟子たちに奉仕において成功を収める事を喜ぶのではないと言われた。にもかかわらず、それこそほとんどの者が喜ぶ一事であるように見える。私たちは商業主義的な考えを抱いている。「こんなに沢山の人が救われ、きよめられたのだから、やれやれこれで大丈夫だ」と言う。働き人が神の中でキリストと隠れたところで交わりの生活をもって生きていなければ、神の霊がその内に宿る人ではなくて、気短いさしずがましい人になる・・弟子になるということはいつも選択が与えられているということである』

商業主義とは金儲けに限定されないんですね。新約には受洗した人数の記録がわずかにあっても、会衆ごとの人数やクリスチャン人口をカウントする指示はないですね。布教時間まで紙に書いて提出させる、時間数でランク分けして個人名を発表する、不動産ビジネスで蓄財するリアル商業主義セクトもありますが、そういう人たちには「指図がましい」特徴があるようです。


『神の名を汚さないようにせよ。神は決して反論されないし、ご自分の正しさを擁護しないので、神のご性質に泥を塗るのはたやすいことである。神は聖徒を最も役に立たない所に置かれる。われわれは言う。「神が私をここに置かれたのは、私がとても役に立つからだ」と。しかしイエスは最大限に役に立つという視点でご自分の生涯を評価されたことは一度もなかった』

神の名をたやすく汚す方法は、愚かしい人間の説明や勝手に考えた穴だらけ解釈で神を擁護するとか、自分たちだけが神に用いられている(役立っている)唯一の団体だと主張するとか、たくさんあります。


『雲とは神がそこにおられることの証拠である。悲しみや死別や苦しみが神の乗って来られる雲であるとは、なんという啓示であろうか!

神は雲なしにはわれわれに近づかれない。神は輝く白日のもとには来られない。神は試練によってわれわれに何かを教えようとされていると言うのは本当ではない。

神がもたらされるすべての雲によって、神はわれわれが今までに学んだことを忘れることを求めておられる。最も暗い、最も暗澹たる事実を、神のご性質を損ねることなしに直視できるようにならなければ、神を知っているということにならない。

「彼らが雲の中に入って行った時、彼らは恐れた・・」 (ルカ9:34)

あなたの雲の中にイエス以外に誰かがいるのだろうか。もしいれば、さらに暗くなるであろう。

あなたは「もはやイエス以外にだれもいない」という所にまで来なければならない』


彼がたどり着いたキリスト者の境地が凝縮されているかのような箇所です。JWが「エホバ」を求めて雲の中に入ると、余計な人たちがたくさんいそうです。満面の笑みを浮かべたレット君とか。
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