人物崇拝

宗教権威が謝らないのは今に始まったことではありません。

新約にもその前例らしきものがあります。

『この確信をもって、わたしたちはもう一度恵みを得させたいので、まずあなたがたの所に行き、それからそちらを通ってマケドニヤにおもむき、そして再びマケドニヤからあなたがたの所に帰り、あなたがたの見送りを受けてユダヤに行く計画を立てたのである。この計画を立てたのは、軽率なことであったであろうか』

も塔の説明によると、パウロが後に計画を変更した流れは↓のような感じです。

① その計画を知らせた後にコリントで深刻な問題が幾つも発覚

② パウロらしいキツめの手紙を書いた(コリント第一)

③ 彼らを悲しませたくない(行きづらくなった?)という理由から「彼らの益を考えて」助言を適用するための時間を置いてあげることにした

パウロらしくとても上目線ですが、それはいいんですよ。分かりましたよ。

でもさ、正当な理由だったと言い張る前にですね、「人」には先見できないことが山ほどあるんだから、一度は約束したことを変更するなら、まず普通に謝ろうよ。神なるものが存在して、その神が明言した意思を撤回するとしても謝る筋合いなどない、被造側が説明謝罪を請求する権利などない、というならそうなんですが、パウロは神じゃないですよね。

『神の真実にかけて言うが、あなたがたに対するわたしの言葉は、「しかり」と同時に「否」というようなものではない。なぜなら、わたしたち、すなわち、わたしとシルワノとテモテとが、あなたがたに宣べ伝えた神の子キリスト・イエスは、「しかり」となると同時に「否」となったのではない。そうではなく、「しかり」がイエスにおいて実現されたのである。なぜなら、神の約束はことごとく、彼において「しかり」となったからである。だから、わたしたちは、彼によって「アァメン」と唱えて、神に栄光を帰するのである』

いやだからさ、そんな話はしてないよね。

論点変わってますよ。

自分は軽率ではない、そして我々があなた方に伝えたキリストにおける神の約束も違えることはない!ということなんでしょうが、それは分かりましたよ。

キリストが生前に選ばなかった彼の使徒職に難癖つける人がいて過敏になっていたのかな、というのも分かるんですが、計画変更は普通に謝ればいいんでない?

勘違いしないでほしいのは、自分は偉大な布教者パウロ兄弟をリスペクトしていますが、彼の言動すべてを全能神の権威と奉るつもりはないだけで、それはパウロ兄弟本人も拒んでいます。

ただの人物崇拝(パウロ教)だよね。統治体崇拝やJW商標崇拝はさらに論外ですが。



パウロは私的弁明をしただけなのに、こういう私信もひっくるめて「聖書という絶対権威」と崇め利用して支配する宗教権威は・・頑なに間違いを認めないし、絶対に謝らないからね。

計画変更くらいならいいですが、命の脅しを伴うハルマゲリミットを言い切って何度も外すとか、児童虐待を組織的に隠蔽するとか、謝るどころか事実認否さえ拒む宗教権威もあるようです。
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