殺せない魂

キリストの先在=永遠性=不滅性という啓示の付随なのか代償なのか、ニワトリが先が卵が先かは知りませんが、魂の先在=不滅性もキリスト教神学の定説になりました。

人には体を殺せても、プシュケーまでは殺せない、という新しい光(笑)です。

ヘブライ語のネフェシュとギリシャ語のプシュケーが同じ思想?概念?実体?を表せるはずもなく、単純に統一させようとすること自体が、稚拙な字句主義なのです。

かみ=エール=セオス=GODも厳密に成り立たないのと同じです。

実在と唯名のどちらが普遍なのか?人の理性に先立つ真理なるもの(言)が「初めにありき」で、それを指示できる表記体系がない(発見?考案?啓示?されていない)だけなのか?

とにかく便宜上の表記を作って、後でこの単語はこれこれこういうことだと定義論争すれば(「えほば」みたいに)いいのか?という話はここでは置いておきます。


話を戻すと、するとヒトの受胎の瞬間に魂もそのつどクリエイトされているのか(無限に増える)、それとも体とは魂がこの「罪深くて不完全な世界」に産み落とされる時に入れられる「土の器」(パウロ)なのか、という議論が生じます。

パウロの「土の器」発言、「地上にあるあなたの(現在の)肢体を死んだものとせよ=肉欲の否定」発言、より勝った朽ちない「カエレスティアの体」を身に着ける発言が、その時点でギリシャ思想の影響を受けていたのか、それとも後代の教父がギリシャ風に解釈するようになったのか、はよく分かりません。

自分はおそらく前者と考えます。

JWは聖書を文字通り信じると言いながらキリストの肉体における復活を否定しますが、そのあたりの流れを全く分かっていないからです(自分も素人ですが)。

霊体の復活てなんかグノーシスぽいよね、と当時ですでに異端認定されています。

その体とは天界用の体なのです。

えーでも不滅の魂(永遠の命)があって器が変わるだけなんて、それはそれで輪廻っぽくない?

・・と思った方、自分もそう思います。

そういう議論はすでに2000年近く前の関係者が本気でやりあっています。

そのことについてはさらに次回。
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