主の計画

ヨハネ福音書はまだいいとして、ヨハネ黙示録が正典入りしたのはなぜか。

そんなの、素人の自分が結論を出せることではありません。

が、ヨハネ神学は「イエス=言葉(ロゴス)=神」を成り立たせるのに欠かせません。

マタイ福音では神性を証明するための奇跡を「悪魔の誘惑」として頑なに退けたのに、ヨハネ福音のイエスは神性を証明することに熱心で、「アブラハムが生まれる前からエゴーエイミー」 というセンス溢れるかの爆弾発言を投下してユダヤ人指導者とガチバトルしています。

ユダヤ教お偉いさん:コイツ絶対にオレらのことバカにしてるだろ?

不毛な宗教釈義や聖典解釈に明け暮れる、宗教権威に支配され縛られる現代人もイエスのセンスを見倣ってほしいものです。


ヨハネ黙示録と同じ初期キリスト教時代には別の救済思想が存在した。

いわゆるグノーシス主義です。

「表のキリスト教」として歴史の勝者になった、正典系のヨハネ黙示録と陰陽の関係にあるかのような「ヨハネのアポクリフォン」には奇妙な類似性が見られます。

① キリスト論

神の子=モノゲネース (ヨハネ福音:唯独り生まれた子)
=アウトゲネース (ヨハネのアポクリフォン:自ら生まれた子)

② 救済論または救済計画 (オイコノミオン=計画または管理:パウロ神学)

このオイコノミオン、という言葉はヨハネのアポクリフォンにも出てきます。

知識を取り入れること(知るようになること)が永遠の命 (ヨハネ福音)
真の覚知者は完全性に回帰し、霊の領域に還る (ヨハネのアポクリフォン)

↑のあたりは永遠の父のもとに還る、を強調したヨハネ福音に通じるものがあります。

一度認識しながら道を逸れると永遠の刑罰 (ヨハネのアポクリフォン)
セカンドチャンスのない火と硫黄の燃える湖、第二の死 (ヨハネ黙示録)

パウロが「誰が主の計画にあずかったか」と釘を刺したのに、「ヨハネ」は預言者と称して主の計画を妄想しちゃったんですかね、背教ですよ。

続きます。
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