伝承信仰

このパピアスの証言を皮切りに、異端反駁を聖なる使命とする初期教父たちによって福音書や新約各書簡の真正性が証言され連なってゆく訳ですが、彼らはイエス=ロゴス論から三位一体、国家教会主義などを中心としてキリスト教の体系化にも貢献したクリスチャンたちです。

言い出しはじめのパピアスは、使徒や直弟子たちと「重なる世代(笑)」であったらしい「長老たち」からの証言を聞いた、と主張してはいます。

しかし、前記事のファンタジーたっぷりの稚拙な預言(解釈)を含め、彼の文献で書かれていることは、も塔を含めほとんどのキリスト教学者によって退けられています。

なのに福音書や新約書簡の正典性を主張するときに限っては、彼の証言が採用される。

その証言、というのもおぼつかないものです。エウセビオスの引用とは↓のような感じです。

「マルコスは主(の言葉)を聞いたことも主に従ったこともないが、わたしが今言ったように、後になってペトロスに従った。ペトロスは必要ならば教えたが、主の託宣をまとめることはしなかった。そこでマルコスは、記憶したとおりに逐一書き記し、何一つ誤らなかった。彼は、自分が聞いたことを書き漏らさぬことと、虚偽を語らぬことだけに、ひたすら注意したからである」


① 直弟子ペトロスは主の託宣をまとめなかった
(「ペトロによる福音書」も出回っていたが外典として退けられた)

② ペトロスからまた聞きしたマルコスが、書き漏らさぬよう書いた・・

③ と「長老たち」からまた聞きしたパピアスが作者不詳の書簡が「マルコによる」と証言した

④ の断片に言及するエウセビオスが「パピアス」はそう言っていた、と証言した


パピアスの時点で、4次情報なのか(最短)、5次情報なのか、それ以上なのか、定かなことは分かりません。

なので各福音書すべてに言えることですが、もともとは作者不詳の書簡が、後代になってその名が冠された使徒や弟子たちによって書かれた(との箔を付けた)、というのは証明も反証もできない(反証材料の方が多い)、伝承信仰なのです。


パピアスが「マルコスはペトロスから聞いたことを書き漏らさぬように書いた」と証言していますが、マルコ福音書は2時間かからず読み切れます(笑)。彼はペトロとの付き合いでその程度のボリュームの話しか聞かなかったのでしょうか。

ここにも、千年王国信奉者パピアスの誇大注釈が入っています。彼の文献が稚拙で妄想的だと当時でさえ退けられ、その書簡が断片でしか残っていないのもうなずけます。正典信奉者からは残ってるとまずい妄想注釈がたっぷりなのかもね。

そんな人物の証言や、その証言を都合よく断片的に引用している文献が信用できるのかな。

真理とは検証不可能な古代伝承に依存するものなのか。
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