残るもの

聖書が(組織ではなく)自分に残した教えは何か。


『何事も党派心や虚栄からするのでなく、へりくだった心をもって互に人を自分よりすぐれた者としなさい。 おのおの、自分のことばかりでなく、他人のことも考えなさい。キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互に生かしなさい。キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、 かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、おのれを低くして死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた』


神がその様を捨て、人の様を選び取った
その者が人として生き、神に叫びをあげて死んだ

ここにキリスト教の真髄を見ます。

史的検証や解釈の是非論争の彼岸にある真理。

それを信じた上でなおとして生き
その思いに寄り添うのか

『だれが主の思いを知り、その計画にあずかったか』

神の思いや計画を勝手に妄想する代弁者(しかもよく外れる)ではなく、人としてあたりまえの感情に共感し、その側に寄り添いその思いを代弁すること

『もしそれが神であるのなら、自分で法的弁護をしたらよいだろう』

神が神と等しいことを固守すべきこととは思わなかった。

神の代弁者であること
唯一の経路であること

そのちっぽけな自称肩書は本当に固守すべきことなのか。

党派心や虚栄から形だけの数や活動を誇示して「自派がすぐれている」根拠とするのか。


最近、脱塔した母親の想いをあるサイトで読んだ。

「子どもの気持ちがよく分かるママになりました」

これを超える真理が存在するのだろうか。
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