原理信仰

「武器を持たなくても、原理主義はもう居場所は無いのかもしれない」
最近、頂いたコメントです。

このブログも聖書の原理解釈や原理信仰を否定する方向に傾いています。

キリスト教書や史的批評、宗教哲学書を読み漁っている影響は、間違いなくあります。

WTからすると、人間の哲学とやらに毒されている、となるんでしょう。WTは人間の知恵、人間的な考え、人間的なやり方・・など、神の像であるはずの人間が持つ知性や創造性や善意、あらゆるポテンシャルを否定します。それは創世記3章の恣意的な解釈に如実に表れていますが、実はそれって裏を返せば、人を貶めて被支配層のマゾヒズムを刷り込む内なる悪魔の主張そのもの、なのかもしれませんが。

さらに言えば、そういうWT教理も人間による原理解釈の一つにすぎない訳ですが。

自分(たち)の解釈のみが神がかっている、という幻想に浸りたい人もいます。

時々荒れるようですが、自分も個人の原理信仰を否定しません。

WT解釈のおかしさに気づいた人が個の原理信仰を貫きたいなら、別にいいと思います。

自分が批判しているのは、原理信仰を利用して他者を支配する宗教権威です。

人を無視する
犯罪を隠蔽する

この延長に「人を殺す」宗教戦争があるのでしょうが、これらは原理信仰を持つ人が集団化して、人や人の権威が命じているにすぎないものを、「神の命令だ」とすり替えることで生じる被害です。

その土壌に原理信仰があるのは事実ですが、今のところ個の信仰まで否定するつもりはありません。

原理信仰は、現実でもネットでも、ますます居場所がなくなっていくでしょう。

でも原理信仰を性急に排除するような傾向も、行き過ぎると過激になります。

信仰者が皆そうだ、というのは全くの偏見ですが、居場所のなくなった一部の原理信仰者が結社してカルト化する、より頑なに先鋭化する、過激な報復手段に出る、ことは現実に起きています。

なので個の原理信仰そのものは尊重したいとは思っています。

6日間創造を信じる、かのユダヤ人信仰者のストレートな信念には素直にリスペクトでした。

ほんとうの信仰者ならこんなブログで揶揄されたところで気にもしないでしょう。

ただ信仰とは何なのか、その対象が本当は何なのか、をWT関係者には考えてほしいですね。

本当に神なるものなのか、聖書なのか

それとも人間の集団なのか、ただの年代なのか、表記なのか

何かの宗教解釈や学問的な知見を 「正しい or 間違い」 とする自分のジャッジなのか


それくらいの気軽さで書いています。
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No title

カルトにしても、国家にしても行き場のない閉塞感から
独裁主義が発生し、
戦争が発生したり、集団自殺が発生したりと
通常では考えにくい
より大きな事象へと発展していきますね。

ものみの塔の行く末はどうなっていくんでしょうか?

聖書に矛盾や食い違いがいっぱいあるから、JWだ原理主義だなんだという議論が出る。元を辿れば聖書が悪い。

Re: No title

> スナフキンさん

> ものみの塔の行く末はどうなっていくんでしょうか?

さっぱり分かりません汗

世俗の権威との摩擦を避けつつ(笑)
独自のアイデンティティーは維持する

上手く使い分けて存続するんじゃないかと

Re: タイトルなし

> 通りすがりさん

> 元を辿れば聖書が悪い

聖書を崇め支配の道具に使ってきた人間が悪い
というのが今のところ自分の考えですが

それも否定しきれませんね
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