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悪魔の要請

『ではどうなるでしょうか。見せかけであっても真実であっても、あらゆる方法でキリストが言い広められている、ということにほかなりません。そのことをわたしは歓んでいます。そうです、これからも歓んでゆくのです』(パウロ)

自分たちの解釈による「キリスト」を、自分たちの解釈による「王国」を、自分たちの解釈する「方法」で布教しないと、イエスに従っていることにはならない、という新興教団もあります。

自分たちの解釈を、自分たちの方法で宣伝している団体が他にあるのか?(ある訳がない)

奇妙な独自性 ⇒ 唯一の正当性にすり替え、そして唯一正しい組織 ⇒ だから奇妙な指示でも間違う指導者でも従え、という思考停止ループ状態に信者を陥れるトートロジー。

「正当性」を主張する試みにつきまとうのが「悪魔」です。

「あなたが神の子であるなら・・○○してみせよ」

正しさ(神の後ろ盾?)を示そうとする誘いこそ、人の内に住む悪魔なのか。

神の「正」当性を証明するために、「負」の悪魔の出番が要請される。

悪魔が認識上の存在か、実在上の存在か、という議論に興味はないです。

ミカエルは悪魔と「意見を異にした」らしい。

意見が異なるときに必然と生じる、「どっちが正しいか」論争。

自分の神(垂木)は他人の悪魔(わら)、他人の神が自分の悪魔になる。

キリストは自己の正当性や神性(神の子)を証明しようとする誘惑を退けた。

イエスが行なった奇跡が神の子だと証明している?

じゃあ、その奇跡はどうやって「証明」するのかな。

神の子だからできたはずと信じるんでしょ。その奇跡が神の子だと証明するのか。

ただのトートロジー。そんな必要に迫られてイエスが奇跡を披露したとは思えない。

てか、おもいっきり悪魔の誘惑だよねそれ。

イエスは自己の正当性を証明するどころか、あらゆる非難を自ら「負って」磔にされた。

その弟子と称する者たちが「奇跡の組織」を自称し、唯一の正当性を証明しようと必死です。

「偽り=負の」中傷と「正当な=正の」批判は、どこで線を引くのか。

そこでも終わりなき論争が始まる。悪魔が好む餌だ。

ただ、異なる意見を主張すること(“間違っている”と思う意見を主張する人などいない)、ぶつけ合うこと、時には相手方を批判すること、の枠を超えて、「他人の意見信条は悪魔の偽り」とまで主張する精神にこそ悪魔が宿る隙があると、聖書は教えているのかもしれません。
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