人の真実

知識、というと本を読む、お勉強をする、というイメージがあります。

でもだれかを「知るようになる」というと、少し違ったイメージになる。

もう死んでしまった人の場合、その人が書き遺した文章を読む、その人を親しく知っていた人の話を聞く、その人について研究考察した二次文献を読む、などの方法に限られます。

でも確かな方法は、その人と親しく交際すること(生きていれば)です。

人づての話は確かでない場合があります。

キリスト教は初めから書物宗教だった訳でもなく、初期キリスト教は「人」を通して広まった。正典が権威付けられたのは異端排除が目的の一つのようです。

すでに死んで久しいキリストについていろんなことを言う人が出始めたのは事実です。

現在でも「史的イエス」「宣教されたイエス」・・いろんな真実があります。

『ではどうなるでしょうか。見せかけであっても真実であっても、あらゆる方法でキリストが言い広められている、ということにほかなりません。そのことをわたしは歓んでいます。そうです、これからも歓んでゆくのです』(パウロ)

あらゆるキリストが言い広められるとして、それを歓んでいいのではないかと思います。

特に日本のエホバの証人はキリスト教について知りません。文字を読むこと、しかもWT教材での否定的で偏見と蔑視に満ちた文字情報でしか知らないからです。

エホバの証人は逆の主張をする訳で、批判者のサイトや本は自分たちに関する否定的で偏見と憎しみに満ちた文字情報でしかない、と言います。

ただ彼らが指摘されるのは、他信条を持つ人との私的関わり(文献を読むこと含む)に否定的制限を加え、自宗派のみが唯一正しく、他宗派全部は悪魔の偽り、と教化している事実です。

その、神でもキリストでもないもの、自組織に対する信仰が、この宗教に関わってしまった人たちの悲劇の原因と思います。児童虐待隠蔽、排斥忌避、終末リミットの重ね塗り、2世への歪んだ愛情・・すべては組織の評判を守り、非信者(自分の子ども含む)を組織に導き、かつ留まらせることが至高善、という純粋な動機(と心底から思っている)が背後にある。

その至高善のためにはあらゆる手段が「正当化」される。

騙そう、傷つけよう、苦しめようという悪意はこれっぽちもないのに、その一方的な善意が結果的に、時には悪意よりも深く騙し、傷つけ、苦しめていることがWT問題を複雑にする。


話がそれましたが、キリスト教やJWについての本やサイトを読むときに「正しいか間違いか」、さらには「神の真理か悪魔の嘘か」という乱暴な視点ではなく(二次的な文字情報では確かめようがない事も多い)、その人の真実・・その人がそう考えている、その人はそう感じている、という事実を汲み取ろうとする姿勢が、その人やその人の信念を「知るようになること」なのかもしれません。

神はどうだか知りませんが、宗教とは信じる「人」がいて成り立つものでしょうから。
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