同じ神論争

「同じ神」論争は古くからあるようです。

ローマ時代のヴァロは人が何の偶像も対象にせず祈る時、最高神ジュピターに祈っているとみなすことができよう、と考えたらしい。では偶像を使わなかったモーセはジュピターに祈っていたのか、というのがアウグスティヌスの反論(たしか)。

布教熱心なイエズス会は適応主義だと、バチカンから釘を刺された。

逆に「同じ神」という意識・意図に反してそうみなされない場合もある。金の子牛を造ったアロンは「これはあなた方をエジプトから救い出した(のと同じ)神だ」と言った。

アモン・ラーと天照大御神は太陽を神格化しているから「同じ神」なのか。日本の神は固有だ、一緒にするな、という人もいれば、同じ光を見てその源である神を拝んだのだから同じ神でいいんじゃね、という人もいるでしょう。

非信仰者やWTからすれば、そんなのどっちも存在しないんだから「同じ」かどうかなんてどうでもいい、となるでしょうが、聖書の神は信じてもWT解釈を信じない人からすれば、「エホバ」なるカタカナ神も虚構で存在しない、という人もいます。もう水掛け論です。

それとも信じる人がいる(いた)以上は、その神は存在するのか。

アフロディテとヴィーナスとイシュタルテは呼び方が違っても「同じ神」なのか。WTも建前上はエホバと呼んでもヤハウェと呼んでも「同じ神」だというが、どうも「エホバ」という表記にこだわっている。神名というより団体商標になっちゃったので今さら変えらんないしね。

アブラムの勝利を祝福しに現れたメルキゼデクは名のない「いと高き神の祭司」だったが、これをカナン土着の神だったとする解釈もあります。アブラムはその神を自分の神と同一視している。WTはそんなはずない、いと高き神はカナンの神なんかじゃない、はじめっから「エホバ」のことだ、と言うでしょう。でもエールエルヨーン(いと高き神)とヤハウェは「同じ神だ」というのと、「同じ神とみなされるようになった」というのと、どうやって厳密な区別をつけるんでしょうか。


それで多神教vs一神教という二元構造はもう古いとする多元的、また包括的キリスト教派もあります。ここ数十年でも宗教思想は進歩している(表向きには組織型宗教の衰退と映る)ので、原理的・排他的一神教でいがみ合う時代は(おそらく作為的に仕掛けられているであろう世界のごく限られた地域を除けば)もう過去のものになりつつある。

生き残りを模索するWT協会も、「他の宗教を尊重しています♪」と軟化した印象をアピールするが、肝心かなめの教義は意地でも変えない(唯一正しい宗教、ゆえにハルマゲドンで自宗派だけが救われる、転向者の破門・忌避)ので、実情を知る人の反感をさらに煽る二枚舌でしかない。


「えほば」と発声する日本WT協会信者と「じほーヴぁ」と発声するアメリカJW信者が「同じ神」を崇拝しているという保証は何ですかね。彼らの神のイメージは土地の文化や伝統や思考に影響されていないと言い切れるのかな。同じ宗教団体に属し、その団体の「神の説明」を信じ、同じ戒律を実践しているというなら、「同じ神」であるかの保証は宗教団体の信条や活動に依存するのか。

崇拝の方式や団体(場所)というくくりが先にあり、それが「神」を区別し、定義するのか。

どうも、それはイエスの教えではないような気がします。

続きます。 
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