1914年②

では大半の信者はこうした度重なる解釈の変更をどう受け止めているのか。

ある真面目証人のブログに「終わりがいつ来るかなんて関係ない。だって終わりを生き残りたいからじゃなくてエホバを愛しているからその方に仕えているんだもん☆」的な可愛げのあるコメントがあった。

これが多くのエホバの証人がそう考えるよう教化されている代表的な見方のようです。

ただ本人がそう思って頑張るのは勝手だが、人に宣伝するとなると話は別。エホバの証人統治体は解釈変更の度に終末を煽るだけではなく、大学行くなだの、仕事はパートにして月70時間布教しろだの、なるべく子供は作るなだの、他人の人生プランにも容赦なく首をつっこみ、組織に従順=神に従順である、と主張する。

エホバの証人として洗礼を受けるとき、何千人もの信者が集まる大会で洗礼希望者に問われる2つの質問。1つ目は一般的なキリスト教とさほど変わらないが、曲者なのが2つ目。

「あなたは神の霊によって導かれるエホバの証人の一員になることを理解していますか」
・・つまり「エホ証だけが神が認める唯一の宗教と認めてんのかコラ」ということである。

エホバの証人になるにはイエスを救い主として認めるよりコッチの方がはるかに重要だったりする。

なのでエホバの証人として布教するには、「父と子と聖霊の名においてバプテスマを施しなさい」という聖書の言葉以上のことが要求される。前述の、聖書にはどこにも書いていない2つ目の質問が示すように、これに「組織の名において」が付け足される。人の迷惑顧みず戸口を叩いて回り、どんなに反対されようが家族から縁切られようがいつまた変更されるかも分からない統治体の解釈に従って人生設計するよう勧めることをも意味する。自分が「エホバ様に仕えたい☆」と宗教活動するのは勝手だが、人の人生やその人の家族の将来や幸福にまで責任を負えるのか。

信じる自由と勧めて回る自由、どっちの自由もあるが、後者には別次元の責任が伴うのでは。
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