受容する神

神を免責する説明を考えるにしても、自らの正当性と、悪魔に支配される人間の愚かさを証明するために放置して、これくらいで「まあ証明されたね」とタイムリミットまで自分で決めて、その解釈を支持しない70億人を大虐殺して一方的に判例にするWT神も、なかなかアグレッシブだ。

WT主権なんちゃらは旧約側のヤハウェ絶対信仰や、その預言者たちによる不信心者や他神崇拝者への強烈な裁きと滅びの宣告に拠る所が大きいが、新約では他者を滅ぼして自己の正当性や優越性を証明することに腐心する器の小さい神ではなく、他者の身代わりになって自分への非難も甘んじて受容する神が読み取れる。

『この方は、自分の前に置かれた喜びのために、恥を物とも思わず苦しみの杭に耐え、神のみ座の右に座られたのです。そうです、罪人たちの、自らの益に反するそうした逆らいのことばを耐え忍んだ方のことを深く考えなさい』

キリストの磔に、いわれのない非難や逆らいのことばさえも甘んじて受ける「神を見る」クリスチャンもいる。神(のモノゲネース)が、かの実を食べて神のようになったヒトを生かし、彼らに世界を委ねたことで生じる「全世界」の業と罪を背負い、罪人たちからの非難や逆らいのことばという恥さえ耐え忍んで息絶えたことに、人智を超える救いを見る。

他者の罪までも背負い、いわれのない非難にさえ甘んじて、死に至るまで受け尽くす。

十字架の死(新共同訳)・・自己の正当化と救いではなく、罪と非難を背負う死に至る道。

キリスト教は「正しい」宗教だから入らせる、という前提がもう違うような。

自分たちの罪さえ背負えず、認めることもできない宗教指導者もいるようです。

いわれのない非難どころか、まっとうな批判にさえ強弁する。


エホバの証人は子どもが輸血を受けることを拒否して見殺しにしている
            ↓
エホバの証人は子どもが治療を受けることを拒否している、というのは馬鹿げた嘘だ
→エホバの証人は医療を拒否していない

エホバの証人が児童虐待を隠蔽した道義的責任で訴えられていると報道されている
            ↓
エホバの証人が児童虐待を大目に見ているという背教者の主張は馬鹿げた嘘だ
→エホバの証人は児童虐待を非とする印刷物を発行してきた(問題はそこじゃなく、その表向きの主張に違えてこっそり扱ってきたことを暴露されているのに)

エホバの証人は排斥忌避教義で人間・家族関係を破壊している
            ↓
エホバの証人ではなくなった人を避けているというのは馬鹿げた嘘だ
→エホバの証人は集会や布教に来なくなった人を“援助”している


いつから、こんな気持ちの悪い論点ずらしに終始する宗教になったのかは分かりませんが、最近の公式見解は身内の不祥事や奇妙な解釈への批判に対して、あからさまな偽りや嘘にはならないギリギリのラインでの言葉のチョイスや印象操作で勝負していると感じてしまう。

そんな資格のある人間がいるのかどうかは知らないが、少なくとも、自分が指導する団体の信者が犯した間違いや罪さえ背負えない、自己弁護に終始して姑息に責任回避する教団指導者が、神の主権の正当性なるものを代弁できる資格があるのかを考えた方がよさそうです。
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