進歩の恩恵

読み方次第でどうにでもなるが、実を食べたことによる代償として事後に語られているのは、地の呪いと、他の動物より増された妊娠の苦痛と思います。事前宣告の「食べる日に死ぬ」は執行されなかった。新約の原罪思想を採らない(はずの)ユダヤ教はこれを24時間の1日以外はありえない ⇒ 宣告の撤回とするらしいが、WTもようやく、アダムは日が昇って暮れる1日と受け取ったであろうと認めた。アダムがそう受け取る言い方をした時点で事実上の撤回だよね。

塵だからやがて塵に還る存在なのは、他の動物には告げる必要がなかった、善悪の知を得て似姿だけでなく自覚的にも神のようになったヒトへの事実通告なら・・メメントモリの始まりなのか。設定的にも「定めのない時まで生きてしまう」という命の木を生えさせる意味がない。

そうすると、神のようになったヒトは着実に進歩している気がします。

ただの仮定(設定)の話で、現実にそうなる可能性があったかは知らないが、もし善悪の知がなければの動物のまま食うか食われるかの世界・・知能と食物連鎖の頂点に立つ存在として地を従え、縄張り争いとメスを寝取ってハーレム三昧・・そこに善も悪もない。寄生バチの幼虫が宿主を食い尽くしてもどっちが善も悪もないのと同じように。

だから悪があるのはなぜかと問う以前に、相対的な(神に相対する)善悪の知・・いや、どうしてもその大好きな、聖書には出てこない便利な単語を使いたいなら言ってもいいよ・・不完全な善悪の知が神学的には罪だとしても、何かを悪と認識するようになったことが抑制になっている。

カインはむかつかいただけでアベルをいきなり撲殺している。この寓話にも象徴的な意味を求めてモダンな「霊的考察」をする人もいるが、寿命も長いしまだ「完全」に近かった?・・というWT設定にしてはバイオレントです。むかついただけで人を殺す事件は今でもあるが、それを悪い行為と認識し、義憤を感じ、嘆き悲しむ。犯罪者は刑罰を受ける。

善悪を認識する(知る)ようになったその「初め」からはかなりの進歩です。

途中、その抑制がほぼきかなくなって1回リセットされたという話だが、その時代(それが史的に起きた時代なのか、その伝承が書かれた時代なのか、という二択論争は別にどっちでもいい)よりも社会は進歩していて、自分は今日、誰かに撲殺されると、そこまで心配せず生活できる(可能性としてはゼロではないが)。

自分の家族や友人が殺人の犠牲になったことがないから、治安のいい先進国にいるから、こんなこと涼しげに書けるのは認めますが、それはそれで社会構造や人の良識の紛れもない進歩から自分が受けている恩恵だと素直に認めることにも抵抗はないです。

今の日本や世界が理想的と言うには程遠いとしても、恩恵は受けるだけ受け、その恩恵があるから生涯アルバイト生活でも公営住宅に住んで生活保護一歩手前の生計(WT推奨)は立てられる、治安もいい、信教の自由含む人権への考えも進歩している国ではぬくぬくと牛歩布教もできる、年金を1円も払わなくても半額受給できる、あらゆる恩恵を受けながら宗教活動に没頭していざ生活に困ると「サタンの不公正で邪悪な世の試練」というのもどうなのかな。

聖書て、そんな自己中精神を教える本ですか。

偏った字句の使い回し方によってはそういう本にもなるという見本がWT解釈。

神がそんな世界をもう1回リセットするのか、それともニネベの宣告を撤回したように、聖書の教訓的寓話もメッセージの1つとしてさらなる進歩を願っているのか、神じゃないので知りませんが、人の良識、技術、知識、社会構造の進歩を願い、そのためにごくごく小さな貢献をすることが信仰に背を向けているとかペットの糞尿だとか、イエスの教えなんですかね。

その願いは信じる人も信じない人も同じなんじゃないかと。

それを踏まえた上で神が深く愛する世に貢献する選択肢の一つとして、自分はパウロのように福音のみに生きる、というなら普通に尊重されると思いますけどね。

パウロという類稀ないちクリスチャンの生涯を、同じ生き方をしない人を断罪するのに利用する、子どもには選択肢を与えない、進学も部活動もクズだの糞尿だのと許さない、別の選択をすれば尊重しない、辞め方によっては親子の縁を切らせるような教義で統制するから批判されるんじゃないかな。
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