死生観

「死よ、お前のとげは、お前の勝利はどこにあるのか」

聖書に基づく死生観と信仰表現の一例です。

マルティン・ルター『キリスト者の自由』より。

ルターはも塔でも是々非々にかなり引用されていて、も塔2003年にルターの特集記事が書かれているが、統治体の世代交代と1914年から1世代と2世代の狭間にある穏健な時期なので、お得意の人格攻撃はちょっぴりだけで全体として好意的な論調で書かれている。

ルターだって現代感覚で読めば強硬な差別発言に見える箇所もある。それは聖書も同じで、後出しジャンケンみたく現代の良識で聖書やルターを批判するのはフェアじゃない。でもそれは、字句に固執する肉的な戒律主義者がその字句を権威に人を裁き、差別してきた代償だと思います。

「召された者たちには(生死であれ、善悪であれ)万事が益となる」
― ローマ8章28節以下

「生も死も、現在起こっていることも、将来起こることも、すべてはあなた方のものである」
― コリント第一3章21節

「これは私たちがすべてのものを身体的に支配して、所有したり使用したりすることではない。なぜなら、私たちは身体的には死ななければならず、だれひとりとして死を免れることはできないからである。また私たちは、キリストやその聖徒たちのように、死以外の多くのものに服さなければならない。だから、ここで言っているのは、身体的な圧迫の中にあっても支配している霊的な支配のことである。すなわち、魂に従えば私はすべてのことにおいて自らを良くすることができるのであるから、死や苦難ですらも私に仕えて、私の救いに役立つほかはないのである。これはまことに高貴な栄誉ある品位であり、真に強力な主権であり、霊の王国である。そこではよいものとか、悪いものとかいうものはなく、私が信仰を持つ限り、すべてのものが私に仕えて私の益となる。しかも私はそれらのものをなにひとつ必要としない。信仰だけで私には十分なのである。見よ、これはなんと高貴なキリスト者の自由であり、力であるだろうか」

彼の「聖書のみ、信仰のみ、恵みのみ」がよく凝縮されている箇所だと思います。


万軍の守護神、軍神ヤハウェが新バビロニアを滅ぼし先祖を解放した(と解釈される)「救い」を期待したユダヤ人たちは、伝統も守らない、彼らの宗教上の秩序と一致を乱す、自分も救えない救い主ならいらない、いっそ殺してみてくれと彼をローマ人に引き渡した。

強制移住させられた諸民族を解放した異国の偉大な王でさえ、自分たちを解放するために「用いられた」我らの神ヤハウェの使いだとする節操のない自己中御利益民族だから無理もない。その旧約的御利益精神は、なんでもかんでも「エホバよね~」に受け継がれている。エホバ様を信じない世の人がする親切など、その人に感謝するどころか、エホバ様に助けられたとしか考えない。

さて、ローマ帝国を滅ぼすどころか、彼らに磔にされたイエスを救い主として崇め伝えるキリスト教が、ローマという当時の「人の住む全地」を満たしてしまった。

『あなたが見ておられたとき、一つの石が人手によらずに切り出されて、その像の鉄と粘土との足を撃ち、これを砕きました。こうして鉄と、粘土と、青銅と、銀と、金とはみな共に砕けて、夏の打ち場のもみがらのようになり、風に吹き払われて、あとかたもなくなりました。ところがその像を撃った石は、大きな山となって全地に満ちました』(ダニエル2章)

ルターが言及した、人の内に真に強力な主権を持つ「この世のものではない」霊の王国、パウロがすでに移されたと語った愛する御子の王国とはこのことか。

人手によらず切り出され、どんな人間にも渡されることのない王国・・内部信者を支配するために何かの団体が私物化できる王国ではない。ムツゴロウ王国みたいに、信者を増やして飼育する「ものみの王国」が設立100周年、というなら間違ってはいないが。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

GUABELLO

Author:GUABELLO
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR