生きた人間

自称指導者への無条件の献身・・
そんなこと言ったらキリストは自称指導者ではないのか、という人もいると思います。

WT的に反論すると、イエスは自称指導者なんかじゃない、メシアについての旧約の予言はすべてイエスに成就した、イエスは真にメシアである神の子なり、ということでしょう(旧約の予言が“証明”しているという、旧約側を主な論拠とする手法はWTが好む)。それは神性についての議論を抜きにすればキリスト教でも同じだと思います。

でもキリスト教が真の宗教「かどうか」ではなく、カルト「かどうか」に限定するならポイントはそこじゃないと思います。

その人が自称指導者かどうかは主観・・信じる「かどうか」の問題です。

どんなに自分がそう思う“証拠”を積み重ねた所で、そう思わない人もいます。
それは必然の対立で、地球が丸い「かどうか」のように収束する議論ではない(多分)。

だからWT信者も、「自称指導者への無条件の服従」がカルトの条件だということは知っている、そのことで他宗教を非難することもあるが、自分たちだけは違う、自分の指導者たち=指導の任にあたる人たち=統治体・・は自称指導者じゃない、本当に神に選ばれ用いられている、と信じている。自称「かどうか」を証拠に基づいてジャッジすることが大事だ、という論点にすり替えてしまう。

繰り返しますが、ポイントはそこじゃないと思います。

WTが過去に言及したカルトの条件には、もう1つの要素があります。

生きた人間に従う。その人間は神に選ばれたと主張してはばからない』

キリスト教そのものが、キリストが真に神の子なの「かどうか」という議論を抜きに、カルトではない理由はざっと考えて2つあると思います(素人の大雑把な考察です)。

⇒ イエス本人は「キリスト教」ができる前に死んだ

⇒ キリスト教は書物宗教である

書物宗教の利点は「書いたことは変えようがない」ことです。写本初期の加筆がどうの、翻訳で改変がどうの、という話は別にして今から原文(とされるもの)を変えるのはまず不可能です。

キリスト教含めどの宗教でもカルト化するのは、神やキリストの権威を全面的に代表すると自称する生きた人間が、「書かれている事柄」を意のままに解釈し、神的権威を主張して命令を下し、その指示や命令に対する無条件の服従を要求し始める時です。

某カルトも名前を変え、教祖をまだ神格視しているらしいが、その生きた人間(まだ執行されてないんでしたっけ?)とのリアルタイムの指示命令経路が断たれている限り、以前ほどの危険はないと思います。どの宗教でも危ないのは、生きた人間の誰かが神や初代教祖の生まれ変わりだの後継者だのと称して強力なリーダーシップを取り始める場合です。

信者たちはウチの指導者様に限っては自称じゃない、紛れもなく神に選ばれている“証拠”がある、と思い込んでいるが、ポイントはそういう水掛け論じゃないし、そこに例外はない、それが聖書の教えでもあると思います。

『高貴な者にも,地の人の子にも信頼を置いてはならない。彼らに救いはない』
(詩篇146編、新世界訳)
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

GUABELLO

Author:GUABELLO
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR