カルトの条件

WT教材によれば、上からの知恵である「道理にかなう」とは「進んで譲る」ことらしい。

WT信者にとって「絶対に譲れないもの」とは何か。

⇒ 古ヘブライyhwhのローカル言語での発声・翻字の使用(正確でなくてよい)

⇒ 進化論の否定(人格的創造神への信仰)

⇒ 聖書の逐語的無謬性

⇒「エホバの証人」という宗教組織の神的権威としての唯一性

他にもあるかも知れないが、数分考えてざっと思いつくのがこれくらい。

この中で最も弊害があるのはどれか、と考えるとダントツで最後の命題だと思います。
WT自らが過去に言及したカルトの条件の1つだからです。

「神に選ばれたと主張する自称指導者(たち)に対する無条件で排他的な献身」

それ以外の3つを主張するのも今では少数派ですが、少数者の信仰すべてが自動的にカルトなのではなく(利用されることは多い)、やはり上記の要素・・自称指導者への無条件の服従、が主な条件の1つだという点では過去のWTに同意します。

ただ複雑なのは、児童虐待隠蔽だろうが、預言解釈の度重なる失敗だろうが、すべてを「不完全さ」で自己処理して、そんなことよりも前者3つを組織として1つも欠けることなく頑なに守っている少数者であることを「真の宗教」の証し ⇒ 最後の命題の根拠とする人もいる。

その場合、前者3つの議論を避けて通れなくなるが大抵平行線になる。このブログでもその3つに幾らか立ち入ってはいますが、大多数の人が客観的証拠に基づいて否定することを頑なに信じる少数者である、という高揚感が彼らを支えている。

だから、前者3つ(他にもあるかもしれないが)の否定が最後の命題からの解放に繋がる人もいれば、別のアプローチから最後の命題を否定するようになっても、前者3つ(またはその内の1つか2つ)は強く信じ続けている、つまり最後の命題の否定が前者3つの否定に拠らないという人もいる。

そこで、周期的に荒れる。


別にWT批判が一致する必要もないし、血の通った意見をぶつけ合えるのもいいと思いますが(最低限のマナーは必要にしても)、主に批評すべきは最後の命題である、という点ではある程度、共通の認識があってもいいのかなと思うこともあります。

それでこのブログでは、WT商標付き人格神やWT逐語解釈を、WT支配が生み出す弊害と関連付けることはありますが、創造説や聖書の霊感説そのものは否定しない方向性で書いています。

この方向性が絶対に正しいと言うつもりもありませんが・・


絶対に守るべき、譲れない信念があるのはいいとして、巧妙な論点のすり替えで信者をゆでガエルにして、自分が守ろうとしているものが本当は何なのかを本人にさえ分からなくさせているのが最近のWT支配です。今や「神の王国の宣伝」が、ウェブサイトやロゴマークの宣伝にすり替わっても何も感じないという・・ 
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