神の夢

ISがイスラム教徒「かどうか」を一人ずつ言わせて射殺する。

WTの神はハルマゲでエホバの証人「かどうか」で一人ずつ選別する。

それが人ではなく、器が小さかろうが造物主(デミウルゴス)なら文句は言えないが、そんな“神”に支配されて生き永らえたくもない、という人もいると思います。

でもひょっとすると、巨大水槽感覚で多様な海洋生物を造って美しい眺めを鑑賞していたら、陸に上がったばかりか(神にとっては)「わずか数日」で自分と似たような形態に進化して、自意識まで芽生えてわがまま言うようになり手を焼いているのは造物主の方かもしれない。時々、収拾つかなくなって選別すれば一方的だ!残酷だ!と文句を言われてしまう。

少し大げさですが、それに近い雰囲気を元COE大主教のツツ氏の著作に感じます。神を理屈抜きで身近に(人に近いレベルで)、または人を神に近いレベルで捉えている。

わたしたちはみな、神の子であり、神は夢を持っている。

多様な生物を創造して鑑賞していることもできたが、神は相当の覚悟で自分と同じ像をしたヒトを造った。進化論的に言うなら「神はそののかたちに似たものとする(似たものに進化する)ようあらかじめ定めた」・・善悪の知と選択する意思を持つに至ったヒトを排除しなかった。

かの実を手にしたヒトを「食べたその日」に殺さなかった。

「しかし地はというと、神はこれを人の子らにお与えになった」

その美しい世界がやがて私利私欲と善悪の争いで汚されるであろうことも、自分が非難されるどころか、もう自分などいないと思われることも覚悟の上で。

それでも神は夢を持っている。子らに委ねた世界がいつか美しい場所になるという。

どの「神」を信じるかで分裂するよりも、まず互いの善意を信じる世になるようにと。


『上なる高き所では栄光が神に,地上では平和が善意の人々の間にあるように』

自分はいるよ、人の子を好きで(愛して)いるよ、自分と子が一つであるように、子たちも一つになる夢をもっているよ、という「ことば」として子を遣わした。これが、あなたたちをそれに似せて造った、オリジナルの=モノゲネースなだよと。

ユードキアの訳し方ですが、WT的に解釈すると「自分たちの神」に喜ばれる、その御心にかなう人(新共同訳)= JW信者の間だけが平和であればいいとなってしまう。神の善意や好意を勝手に限定してはいけないと思います。


神はかれを遣わす。すなわち、永遠の、堕落しなかった世界の、われわれには未知の、初めと終わりの世界の国から遣わす。したがってかれは「生まれたのであって、造られたのではなく」(われわれが被造物として知っているすべてのものとは反対に)、したがって「処女マリアから生まれ」(人類と自然と歴史というわれわれの知っている体系の僭越な永遠性に対する抗議として)、したがってかれは「真の神であり、真の人間」(神と人間との根源的な、失われてしまったが、失われてはならない一致の証拠として)なのである。神はかれを遣わす。すなわち、そのかれをこの時間的な、堕落した、分かりすぎるくらい分かっているわれわれの世界の中に・・つまり、この肉の中に遣わす。神はかれを遣わす。それはここで何かを変化させるためではなく、肉を道徳によって改善するためでも、芸術によって美化するためでも、学問によって合理化するためでも、宗教という蜃気楼によって高めるためでもなくて、神が神の似像において存在するものとして自分を認識するその新しい人間、そして人間が神において自分の原像という形で存在するものとして自分自身を認識するその新しい人間を神が宣べ伝えるため、また、神はすでに勝利したのだから改めて勝利する必要がないような新しい世界、そこにおいては、神は他の或物ではなくて、すべてのものの内のすべてのものである新しい世界を宣べ伝えるため、また、創造者と被造物とが二つの別の物ではなくて一体となっている新しい創造を宣べ伝えるためである』
(カール・バルト:赤字の部分は日本語原文では傍点で強調)


・・それとも、どうせ上手くいかないと決めつけて、これ以上はお前らに文句は言わせないと、大虐殺の前に自分の正しさを“証明”する判例作りに放置している造物主なのか。


カール・バルトの三一理解て様態論ぽくね、と神学マニアに言われそうな箇所ですが、そういうくだらない議論は好きな人が好きなだけやればいいでしょう。
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