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奴隷はいない

『その奴隷は,1世紀という昔に霊的食物を供しはじめ,しかもイエスによると,主人が1914年に到着した時にもそうしていることになるからです。一個人だとしたら,およそ1,900年にもわたって忠実な奉仕をしていることになります』(2004年も搭)

『その奴隷はペンテコステの日にクリスチャン会衆が発足してから主人であるイエス・キリストが清算のために戻って来られる時まで霊的な食物を供給することになっていたからです』(1995年も搭)

6月のビデオオンデマンドで、解釈説明担当のスプレーン氏は↑のような、かつては「新しい光」だった教えを全否定する解釈を語っている。

イエスの教訓的譬えの一節にしか出てこない「奴隷」が誰を暗示しているか、という不毛な議論はどうでもいいが、いつも通り付き合ってコメントします。

冒頭の引用のように、その奴隷は1世紀に任命され、主人が到着した1914年にもその仕事を忠実に果たしていたからすべてのものを任された、と解釈していた。

ところが、奴隷級消滅(増え続けるパンを食べる人間を奴隷から排除)と、到着の先延ばし(任命が1919年で、到着はハルマゲドン前)により、「1900年にもわたって忠実な奉仕をしてきた」解釈とつじつまが合わなくなりました。

それで「1900年間、奴隷はいなかった」と“調整”した。

面白い真理ですね。



「事物の体制の終結の時まで、いつの日もあなた方と共にいる」

そうですね。奴隷がいなくても主はいつの日も共にいてくださいますね。

「わたしを通してでなければ、だれも父のもとに来ることはありません」

イエス以外の「道」や「経路」は必要なかった、ということです。

ありがとう、統治体の人。
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