禁断の果実

禁断の果実というあまりに有名な話に定説はないようです。

キリスト教(新約)では一人の人を通して罪と死が入ったという原罪解釈ですが、その原罪についての一律の定義も存在しない(はず)。聖書は教科書のような公理集でもないので、史的背景ならともかく、教理として「これ1冊でまる分かり聖書」という参考書が書ける本でもない。

原罪の話に戻すと、全能神が予知しなかったのかと騒ぐ人、自由(意思)こそ絶対(正義)という英米思想で自己完結する人、神が悪魔の挑戦を受けたのだという人、性行為を初めとする欲望の象徴という人・・聖書はキリスト教以外の人も解釈する自由はある?ので、いろいろです。

何を言っても結論が出る話でもないが、最近知った一つの説を書いてみます。

誰かが何かを言えば必ず反論が生じる・・それは必然の対立です。

そういう善悪や正誤の主張が対立する根源がこの話に帰結するから。

だからこの話についての解釈も一致しない。

うん、これが唯一正しい解釈だね。他はみんな偽りだから、これからは唯一正しいこの解釈以外のことは考えても話してもダメだと決めようね。殺処分するぞ。

そんな脅しでプログラムできるロボットなら初めから食べないよね・・という話 ⇒ という解釈。

すると、唯一正しい解釈はない(決定できない)というお前の講釈は“正しい”のか?⇒ それも決定できません(以下続く)・・というループ状態。

たとえば自由意思が何とか仰る人。

2人が実を食べずに産めよ増えよでその子孫が何十億人になっても、誰一人としてその実に手を触れない世界って・・オメラスのような気持ち悪い理想郷か。

遅かれ早かれ誰かが触れた瞬間、世界が崩壊しますね。

それが未来永劫、絶対に起きないロボットで埋め尽くされる世界が見たかったのかな・・または触ったやつは欠陥品として即刻処分、いなかったことにされる世界 ⇒ ものみの楽園。

良識的な法律にギリ違反しない宗教制裁(排斥忌避)しかできない現代とは違い、旧約の如く戒律違反者は神の名により死刑、某国みたく存在記録自体の抹消とか普通にやると思われ。


今でも排斥された人は集会に来ても空気になりますからね。


キリストは何のために全世界の罪(エゴ)を丸ごと背負って磔にされたのか・・人類を大虐殺することで判例を作り、後は1人ずつ処刑する神の権利なるものを立証する“法的根拠”か。

その上に成り立つとは恐ろしい救いだ。
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