人格攻撃

都合の悪い物事の正邪を指摘されると、人格攻撃にすり替える。

も協会と、彼らに魂を奪われた者の常套手段です。

「神の差配」の記事でも書いたが、ウザが裁かれた理由がよく分からないなど、聖書でも都合の悪い記述が指摘されると、ウザの人格攻撃をやり出す。ウザを弁護する訳ではないが、それが真正に神の裁きというなら理由如何に関わらず神の差配なので、聖書に一言も書いてない彼の人格までわざわざ邪推して攻撃する必要もない。

も協会が都合の悪い人間を排除する、排除された人の評判を貶める手法も同じで、理由は分からない、公表もされない、でも神の組織が排除した以上は「悪い人間」に違いないという刷り込み。

元の問題が何だったのかはうやむやにする、私たちにはよく分からないのです、エホバ様はすべてをご存知なのです、と問題をすり替える、複数人でしたたかに穏やかに挑発し、反論したという事実やその態度のみで人格に問題アリとして裁く、一方的主観で「厚顔無恥である」と排除できる。も協会の義と、彼らの義に冒された者たちには、その裁きは正当なものです。


「言葉が乱暴」(ヨブ6章2節)になるのをしたり顔で咎め立てる義人たち。

聖書は「罵りの言葉」を非としてはいる。

だからどんなに汚い言い回しを使ってもいいとは思わない。

でも聖書には、生身の感情を持つ人間が書いた、怒り、失望、悲嘆をストレートに表現した言葉が含まれている。そういう生身の人間が本音を書いたから共感できると教えてるよね。

穢れなき天使が書いたような神々しい、ひたすら清らかな散文ではない。


作り笑いとご丁寧な言葉遣いを絶やさないことを新しい人格という。

天使の仮面をつけた、“模範的”で陰湿なWT聖人による支配。

都合の悪い不義は神の名により隠蔽され、虐げられた者、それを知ってしまった者には “神”の是認を失いたくなければひたすら黙して耐えろという。

そこに、も塔パリサイ協会の義は満ち溢れても、神の義は宿らない。
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