WT訓練②

「ふさわしいかどうかを試せ」・・WT訓練の根幹にある字句。

イエスの教えではないし、WT協会の雇われ上司たちはこれを陰湿に運用する。

今回の記事が示すように、彼らは人を全く信用せず、人ではなく業(行為)を評価する。

だから「やらせ方」の方法論に終始する。聖書の数々の逸話をその観点で汚してしまう。

洗礼も、破門からの復帰、役職への登用・再登用も、数か月間から数年間、「何かをやっている」ところを見せ続けないと信用しない。「やっているかどうか」を執拗にチェックする。

イエスは自分を見捨てたペテロに、しかも普通に漁師の仕事に戻っていた時に再び現れ、その場で「自分の羊を養うように」との務めを託した。サウロの召命も同じで、何ヶ月か何年か、何かをやらせてそれを評価した訳ではない。

人は無条件に愛され、信頼されて力を発揮する、それが本来のキリスト教・・のはず。

ペテロは行為としては自分の主(あるじ)を裏切ったが、本当はイエスをとてつもなく愛していて、イエスもそれを知っていると確信していた。その痛みが強さにもなる。

「あなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい」(イエス)

サウロも行為としては主の兄弟を迫害していたのに、「月足らずで生まれた」ような自分に過分の憐れみが示されたことにとてつもない負い目を感じていた。だからパウロは業に富むようになっても、業による義認を徹底的に否定した。

彼は自分を「すべての者の最後」であり、「負い目のある者」と評した。

最も弱く、罪深いときに憐れみを示され、信頼された人たちがキリストを広めた。



WT訓練はただの論功行賞だ。

上にいる人間の顔色を伺って実績を作った強者に与えられる立場。

口ではへつらいの言葉を出すが、その“特権”は自分で勝ち取ったもの。

彼らの閉鎖的階級制度は、組織的ユダヤ教に邁進していたサウロのように、「同年輩の多くの者たちにまさって」先んじようとする人間という実を生み出してきた。

彼らに負い目などない。

自分たちは律法(聖書)の解釈と実践において他者より進んでいて、自分と同じ土俵やレベルで律法を知らない・守らない者たちは「呪われた者」という意識が根底にあり、この組織ではランクが上に行けば行くほど、その意識も強くなる。

人が最も弱いときに追い打ちをかけ、人格さえ否定し、すべてを奪い去る。

それが彼らの言う聖霊による任命と裁きのすべてです。

イエスのように心は読めない、だから業や数字で評価するのも仕方がない、というなら「聖霊による任命」という言葉を軽々しく使わない方がいいよね。
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No title

まったくそのとおりですね

グアベロさんもそのルートでしたか?
自分もいわゆるエリートでしたからよくわかりますよー

今になってよくわかりますが、当時、全くその意識がなかったかといえば嘘になりますね。

ところで、
そろそろ足をあらいませんか?
そこまでわかってしまうともうキツイでしょう?(笑)
楽になりますよ。(^^)

Re: No title

> スナフキンさん

も協会からはすっぱり足を洗ったので気楽なもんです。

後は自分がやってきたのことの代償として同じ目に遭えば
家族も目が醒めるだろうとそれなりの言動をしてますが、
なかなか異端審問にかけてくれませんね(笑)

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