召された者

1年少し聖書と関係書を読み漁った素人が途中経過程度に数ページにまとめたことがキリスト教信仰を代弁するはずもないが、宗派に関係なくおそらくはこれに近いことを全身全霊で信じている受容している何人かの人に会ったことがあります。

彼らはJWさえ異端だと咎めない。自分だけが絶対の真理を「持っている」とか、他のクリスチャンや宗教はすべて偶像的で偽物だ、とも軽々しく言わない。彼らがそれによってただ一方的に生かされ、証しされている真理とは『神学者たちの想像の中にだけ存在するキリスト教的確信』ではないので、『自分は召されている』とも訴えない人たちです。


「というのは 神が認識した者たちを 
   神はその子のかたちに似たものとするように定めたからである 
    しかし神は そのように定めた者たちをも召した」
(パウロ)

『神を愛する者たちは・・神を愛するつもりでいるか、あるいはそう申し立てていながら神を愛さない召されない者たちとは明らかに対立して、召された者たちと呼ばれている・・神を愛する者たちは、見分けるのがむずかしいほどにかれらと似た者となることに決して抗議しない。彼らを正当なものと認めることができるのは召命そのものだけであって、決して、召命されているとの訴えではないということをよく考えた上で、かれらは自分たちが召命されているとも訴えないだろう』(バルト)


JW記念式でパンを食べる行為を『召されたアピール』とする解釈とは対照的です。キリスト教的確信どころか、WT的確信がない人はその命令に従ってはいけません。

食べたくなくなるよね、せっかく無酵母なのに、食えるもんなら食ってみろと大勢のギャラリーが注視する中で食べもしない人間にもれなく几帳面に回される、人の解釈という酵母で汚されたパンは。そういう狙いなのか。

現役の方々(特にキリスト教圏)にどんどん食べてもらって14万4千人をぶっちぎっちゃえばいいんじゃねと思ったこともありますが、まあどうでもいいです。少なくとも、キリストが証しするために来たという真理は、いち宗教団体の奇妙な聖書解釈が破綻するかどうかと何の関係もない。


こんなブログを書いている自分はその場所からはるか遠く離れた所にいる訳ですが、神(のモノゲネース)自らが黙示するために来たらしい真理を、人間側がその合理性を検証して初めて「正しい」と認められる事実の知識や、個人や団体の聖書講釈(このブログ含む)が正しいか間違いか、あたりとごちゃまぜに思わされているWT信者とキリスト者の議論がかみ合わないのは、こういうベースの違いがあると思います。


霊とは何か、聖書のあちこちから拾った文字を使って定義の合理性を主張する様は、盲人たちが象のあちこちを触っては「象とはこういうものだ」「いや違う」と言い争っているかのようです。エネルギーぽく“見える”箇所もあれば、パーソンのように“読める”箇所もあるんでないの。
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