真理とは②

『物質の人は神の事柄を受け入れません。それは愚かなことだからです』(パウロ)

物質の人にとって実験や観察で万人が等しく検証できない何かを受容するのは非合理的です。

WTは空気や電波も目に見えませんよね?と言うが、それは視覚に限っただけの話で、それらの存在や作用は容易に知覚できる。物質的な議論から一歩も出ていない発想で、聖霊という「神の事柄」まで電気みたいなエネルギーに例えたりする。

『初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て手でさわったもの、すなわち、いのちの言(ことば)について-このいのちが現れたので、この永遠のいのちをわたしたちは見て、そのあかしをし、かつ、あなたがたに告げ知らせるのである』(ヨハネ第一冒頭:口語訳)

人間イエスを知らないパウロを意識した訳ではないにしても、これはキリスト教にとって知覚できる唯一の真理を表現しています。「目で見た」「よく見て」と、see(見える)とobserve(注意して観察する)のような2つの単語で視覚を2回強調している。

命のことば、初めからあったことば、神であり、神と共にいた、そのことばが人に宿り、神の懐にいたモノゲネース(独り子の神)が示す栄光を見て、そのことばを聞いた・・(ヨハネ福音)



WTもそのイエスが「真理であり道であり命である」と認めてはいる。

でもいつの間にか、「どうやって真理を学びましたか?」というお決まりの質問の意味するところが「どうやってWT解釈を学びましたか?」に変質している。

WTの真理とは、BC607年と1914年、忠実な奴隷は誰か、終末や地獄や魂の解釈、誰が・何人が・いつ・どうやって天に行くか行かないか、善悪が存在するのはなぜか、ユダヤ人が使用した旧約の古ヘブライ表記yhwhの翻字や発声をどうすべきか・・どうでもいいこととは言わないが、キリスト(教)の本質とはおよそ関係ないところで自分たちなりに理論立てた一連の解釈を指します。

その解釈をWT教材でお勉強するきっかけは何でしたか、という質問です。


人が書いたものから自分の考えに合いそうな箇所を切り貼りしてもつまらないし、それってWTの手法です。でもキリスト(教)に啓示される真理というとさすがに好き勝手に書けないので、1人のキリスト者の人が書いた本をベースにして自分の言葉で注解 (笑)します。

少し前に書いたカール・バルトという人ですが、そんなの彼が書いたどの文献のどこに書いてあったのかという指摘はご容赦願います。その類の指摘はとある宗教組織で十分すぎる程耳にしたので・・
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

GUABELLO

Author:GUABELLO
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR