信者と不信者

逆説的ですが、神を信じる人にこそ、神を信じなくても、宗教に入信しなくても、幸せになれると言ってほしいですね。宗教に入って何がしかの幸せを体感できるのは結構ですが、幸せをやたらと目的化(商品化)して、不信心=不幸せ、と思い込ませる団体には注意が必要です。

イエスは、父はすべての者の上に日を昇らせ、恵みの雨を降らせる方だと説いた。

敵や邪悪な者にさえ良いものを差し控える方ではないと「知るようになる」こと、

それを知ったなら、行ってあなた方も同じように(信じない人にも)しなさいと。

勧誘ありきで、その下心は隠しておやりなさい、という刷り込みに余念がなく、団体内のラブシャワーとは対照的に、勧誘できる可能性がないと見切られた人、団体の教えを信じるのをやめた人への手のひら返しで有名な宗教組織もある。



神を信じない人が創造を否定するのはあたりまえで、創造は科学的にも正しいとか言い出す勘違い宗教がよく困ったことになるので、良識的な批判はどんどんやってほしいです。

それに反撃するかのように、神を信じる自分たちは高尚な人間で、信じない人間は不道徳で、哀れで不幸で救いがない、という印刷物を配って回らせる団体もある。それがWT信者の間でも「世の人」「不信者」という用語を差別的に使うよう刷り込まれる、自称世界最高の教育。

その教化を前面に出す最近の「研究号」は信者用、集会に来る“進歩的”な人の教化用、という二段階なのか二枚舌なのか、一般に配るのはやめる周到ぶり。


大方の先進国では、信じない側が信教の自由を法で保障して認めてあげようよ、どんな宗教でも茶化したり馬鹿にしたりはよくないよ、という良識を示してくれる時代です。それ=他者からの理解や尊重を当然の権利かのように、信じる側が「要求」してどうすんだと。

どちらかと言えば、過去において不寛容になりがちなのは頑なに信じる側かもしれません。今でもそういう人間を生み出す印刷物を出回らせる某宗教法人は、自前教材が一部の国で制限対象になると「あるまじき不寛容」と逆ギレする。

本来は信じる側が信じない人を無条件に受容して尊重するよう努めるはずなんじゃないかと・・
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