組織の善性

児童虐待問題に対する、とあるリアル信者の典型的な防衛反応。


終わりの日だからサタンも組織に対する攻撃に躍起になっている

邪悪な人間が組織にも入り込んでいる

その邪悪な人間に対処する上で組織はできる限りのことをしている

でも組織も不完全だから対応が十分でないこともある

エホバはすべてをご存じで、犠牲になった人も必ず顧みてくださる

仮に組織に問題があったとしてもエホバがふさわしい時に正される

組織を批判して一致を乱すのはサタンの罠だ

いずれにしても、自分たちはすべてを知らない

だからとにかくエホバにお任せしよう


隙がねぇ・・カルト思考つよい。

この“汚れた世”にはないがどこかにあるはずの、自分の憧れの理想とする完全な善性というイデアなのか、善悪の知を得てしまった人間が永遠に追いかける幻想なのか。

信じたいものを信じるのはいいとして、恐ろしいのはその幻想を維持する代償として、卑劣な犯罪やその実質的な隠蔽まで“不完全さ”と同列に語られ、済まされてしまうこと。すべてをご存じのエホバが気遣ってくださいますよというおまじないで気遣うフリはするが、実は被害者はほぼどうでもよくて、エホバ(組織)の善性を護る方が大事。そういう無責任で無批判な従属が消費者(宗教では信者)を欺く体質につながることは他の組織でも指摘されている。

犯罪を裁き、賠償責任を負わせるのは被害者の救済もあるが、社会的な抑止です。そのために社会的権威は剣を帯びていると新約も教えているが、旧約の「2人の証人」ルールに固執し、そのルールで裁けなければ司法ではなく「エホバにお任せ」することが聖書的だと言う。

律法が与えられた当時のユダヤ人には新約が言う「上位の権威」など存在しない。具体的にそれが何だったかは書かれていないが、「イスラエルの子らに対する裁き」について直接の神託となるウリムとトンミムもあった、そんな時代のルールですけどね。
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No title

今年はサリン事件から20年ということでよくマスコミでもそれが取り上げられていますが
彼らの思考も同じく絶対的ななものを定め(教祖)
それは絶対的なものだから間違うはずはないと言う大前提の下
それとつじつまが合わないことはつべてそっちが間違っているという方向性で
つじつまを合わせることで一見論理的に論理を合わせていったようです。
彼らの中にも頭のいい人たちはいましたね。

基本的な構造は同じだな、と、改めて思います。
カルトの構造はやはり共通点がありますね。

Re: No title

> スナフキンさん

ほんとにおんなじですね。絶対の前提につじつまを合わせる弁論を
考える点では頭がいい。帰依していた時の上祐氏を思い出しますね。
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