天使と悪魔⑤

悪の根源であれ、いるぞ、いるぞ、部屋の中にも半透明仕様のライオンみたいにいるぞ、という二元論を強調するのは、その者を宣伝していることにならないんですかね。

その極致がWT協会で、表紙を真っ赤にした「サタンは実在する?」なんて気色悪い雑誌を周期的に配って回ります。サタンの宣伝、御苦労様です。

サタンを実在化して、そいつにすべてをなすりつけて“神”はちっとも悪くない、放置しているだけでそれには正当な(と思いついた)理由があるんですよと、弁神上の必要悪としてサタンを強力に宣伝したいようです。

無教会主義で知られる内村鑑三氏は講演でこう語ったという。

「すなわちこの世の中はけっして悪魔が支配する世の中にあらずして、神が支配する世の中であるということを信ずることである。失望の世の中にあらずして、希望の世の中であることを信ずることである。この世の中は悲嘆の世の中でなくして、歓喜の世の中であるという考えをわれわれの生涯に実行して、その生涯を世の中への遺物としてこの世をさる、ということであります。その遺物は誰にも残すことのできる遺物ではないかと思う」(『後世への最大遺物』より)

彼も悪魔の手先でしょうか。

「世の支配者が来るからである・・が、彼はわたしに対して、何の力もない」(イエス)

「神に従いなさい・・そうすれば、彼は逃げ去るであろう」(ヤコブ)

彼、と具現化されてはいるが、そういう箇所ばかりを引っ張り出してほら実在だ、と宣伝するよりも、方向性というか可能性としては「その者」が無きに等しい存在であると思えるポテンシャルを示す教えのような気がします。

火の燃える地獄は象徴だと言って人々を恐れから解放したと自慢するが、他のキリスト教以上にサタンや悪霊で脅しをかけて信者の私生活や人生をコントロールするのは大好きです。

悪魔を火の湖に投げ込むのは他力本願でいいのか。自分の神が他人の悪魔をやっつけない限りは何をしても無駄、という世に何も貢献しないただの悲観はイエスの教えなんでしょうか。

そういう聖書の言葉は、いつか「神は死んだ」ではなく「悪魔は死んだ」と言われる時代の招来を指し示すものなのかもしれない・・実際に来るかどうかは知りませんが、キリストのバシレイアとは他力本願的に祈り求めるだけではないという可能性。


他力本願と言いながら、タイムリミットだけは勝手に決めて勧誘のネタにする(そこは自分で決めるのか)、しかもこの100年で4~5回くらいは余裕で外してるのに100周年!記念ソングを作って練習させるとか、ウケを狙っているのかヤケになっているのかよく分からない人たちもいます。

世の中を今すぐ変えることは誰もできませんが、「この世は捨てたもんじゃない」と一人として胸を張って言える“勇敢なる生涯”を残すことが後世への遺物である、それは誰にでもできる、あきらめてはならない、ということを内村氏は言いたかったのではないかと思います。
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