続・全能の神②

字義(語源)不明なエル・シャッダイを、新世界訳を含む聖書が慣例的(伝統的)に“全能の神”と訳している理由の1つは、70人訳が主にヨブ記中に出てくるシャッダイの訳語に、ヨハネ啓示で9回使われているギリシャ語のパントクラトールをあてているからです。

英語のAlmightyに近い単語がヘブライ語にあるのかないのか知りませんが、少なくとも旧約中には候補となる単語は他には出てこないらしい。

『そうでないとすれば,ヘブライ語聖書にはパントクラトールに対応する語がないことになるからです』(WT洞察)

シャッダイがパントクラトールに対応しないなら、他のどの単語だというのか。

エホバの証人が神の唯一の組織でないのなら、他のどの組織だというのか。

・・となんか似てますね。お得意の物言い的に。

ないならないで、その事実をありのままに受け入れればいいのでは、と思うのですが。

後代の70人訳が、シャッダイをおそらくシャーダドつながりで(WT洞察が採用する説)パントクラトールと解釈するようになったことをどうとか言う知識も資格も自分にないのでそれはいいんですが、70人訳のキュリオスはサタンの陰謀としながら、キリスト教とがっつり一致する解釈を支持する時には70人訳を全面的に根拠にする、いつものやり方です。

でも「全能者が自らの全能性を制限できるのも全能か」という禅問答みたいな話など(WTはこれをアリとする)、この全能=Almightyという言葉が独り歩きしてしている気もします。

神学や哲学を嫌うはずのJWも、悪の存在から全能の神を“免責”する唯一正しい論理的整合性を考えついた(主権論争のやつ)と主張するあたり、神議論というか中世神学的な影響はしっかり受けている。

古代ヘブライ人のシャッダイへの思いはそんな神学的な議論とは無縁で、もっとシンプルで素朴なものだったのかもしれない。
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No title

 神は全能ということが一人歩きしているんじゃないかと僕も感じます。僕は、神は全能ではないと思っているのですが、GUABELLOさんは、どう思いますか?

Re: No title

> ぴゅうさん

自分がどう思うかは、神なる存在が全能(という言葉で大抵の人が想起するイメージ通り)かどうかには何の関係もないので、自分でも関心がないんです。その言葉が独り歩きしているというのは、神の方がその言葉の枠に押し込められているような気がしたので・・
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