神の名⑪

イエスはこのyhwh信仰を復興させようとしたのか・・と言えば、

新約を読み返しても、どうもそうは思えないんですよね。

WTはモーセは名前ではなく、その名(表記?)によって示される方について尋ねたと言う。

どうしてその解釈をイエスにできないんだろうか、と思ってしまいます。

弟子が「父をお示しください」と言っても、旧約をもっと読みなさい、個人研究が足りない、

ではなく、ただ「わたしを見たなら父を見た」と答えた。

何かの表記にこだわった様子もない。

新約写本すべて、その最古のものにもヘブライ子音字yhwhの直接転記は全く存在しない。

その劇的な変化(意見が割れていない事実)は何を意味するのか・・

ギリシャ語に近似して翻字された形跡も、議論された様子も皆無です。

ギリシャ語を話すユダヤ教徒用の70人訳(旧約)や古代ギリシャ語訳(旧約)の古い写本の一部に残っているだけで、それを根拠に新約にもあったはず、というのは洞察が嫌うただの憶測です。

「救い」を強調するキリスト教も御利益的という人もいますが、本来は違う気がします。

イエスは政治的解放だの、経済的繁栄だの、そういうのを一切否定して体一つで磔にされた。

ユダヤ人もローマ人も、救い主のくせに自分も救えないのか、と嘲った。

幾つかの奇跡は伝承として残っているがそれを見返りに教祖になろうとした訳でもなく、あらゆる宗教的束縛から解放する教えを残そうとしたのかもしれないが、その理想を掲げていたはずのWT協会が少し大きくなっただけでここまで信者を裁き、束縛することに必死になる姿は滑稽です。

「信じる」ことを行為に置き換えて、金銭や無給の奉公を要求するのは人が作った宗教です。
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