創造説話⑤

という訳で、神=フィジカルなクリエイター、という話にはあまり関心ないです。
創造をフィジカルなクリエイションに限定するなら、超高度文明を持つ宇宙人でも何でもいい訳で。
創造とは、もっと根源的なものだと思い始めています。言葉にするにはまだ勉強不足ですが。

もともと科学的根拠があるから神を信じる、というのに違和感はありました。

じゃあなんで神を信じるのかといえば「神は愛」なんでしょうね。

愛がすべてとか陳腐な物言いですが、あまり愛=Loveを直に語らない日本の文化で言えば「恩」や「縁」といったところでしょうか。

自分も短い人生の中で、家族や恩師や友人と呼べる人たちとの関わりに助けられてきました。

誰もが自分が第一です。せいぜい自分の家族親戚くらいまででしょう。いわゆる無私の愛とやらをユニバーサルに実践している人など、自分はみたことないです。

それはJW社会も何ら変わらないのですが、ニーチェの言う「無私というメッキ」を被って自らの義や永遠の命やトッケンを追っかけてる分、弊害も多い。組織に貢献する以外の「自分第一」(別に悪いことじゃない)に執拗な罪悪感を持たせられ、心身のバランスが歪む。

「受けるより与えるほうが幸福」は因果として言っているだけで、自分が幸福になるために与えよ、とか、幸福になるための方法論、を語っている訳ではない。順序を勝手に変えますが、その順番てかなり大事だと思います。

本質的には自分第一の人間が、因果だの自分の幸福だの考えるより先に(順番が大事)自らを犠牲にしてもだれかを助けようとする尊い瞬間がある。映画「クラッシュ」は好きです。ほとんどの人間は純粋な悪人でも、純粋な善人でもない。

自分はそういう瞬間にも神を感じます。自分がそう感じたから何かが証明されることもないですが、キリスト教ではその尊い瞬間を最高度に表現するのがキリストの磔なのかもしれません。

でも、だれに何をしてもらっても「えほばよね~」で片付けるのは昔から嫌いでした。感謝すべきは神の像であるその「人」です。対象(像)に関係なく、感謝という思い自体がすでに尊いのでしょう。感謝することを教えない文化や宗教があるでしょうか。

情けは人のためならず、というやつで、お金と同じで愛=恩もめぐりめぐって自分に帰ってくることがあります。その人間特有の不思議(に見える)現象を説明するのが宗教なんでしょう。聖書で言えば「自分で量りだしている秤で、自分も量られる」とか「まいたものを刈り取る」あたりの教えで、そういうところは他宗教にも通じるものがあると思います。


宗教がなくても恩や縁を大切にする人はいますが、そういう忘れがちなことを教えたり、思い出させたりするのが本来の宗教の役割・・なのかもしれません。ただ因果を利用して、まず与えよ、もっと与えよ、あなたの幸福や不滅の命のためだと、与える対象を自らの組織に限定してお金や無給の奉公を要求するビジネス宗教に成り下がったのがWT協会です。
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エホバよねーというのは、姉妹たちの口癖になっている感じがします。なにか偶然的に良いことがあったりするとエホバよねーとなったり、人からものをもらったりするとエホバからそなえられたとなっちゃいますね。

変だなーと感じていても言い出せない。そういう雰囲気がありますね。

Re: タイトルなし

> ぴゅうさん

自分の神に感謝したいなら、自室の戸を閉じて隠れた所(心の奥)にいる神に祈りたいですね。

No title

「静かなところで祈る」ってやつですね。

Re: No title

人の善意や善行を何かのサークルの宣伝に利用するのはどうかと思ってしまいますね。
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