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創造説話④

話を戻しますと、単純に科学のことは科学にお任せすればいいと思います。科学や考古学が何かを“発見”する度に、それが事実である可能性を科学的に反論するなど宗教がやることではないのですが、JWが進化論やBC586年を意地でも否定するやり方はそんな感じです。

創造論もどの程度まで文字通り解釈するかに関係なく、オールマイティーな神を第一原因に持ち出す時点で、科学的は「答えになってない」「検証自体が不可なのでルール違反」となります。

それで、その時点でもっともらしいとされる科学的知見と聖書の特定の個所が矛盾するように思える場合、それをどう判断するかは、学者でもないのに学問的に反論するとか、宗教権威が統制するとかじゃなく、個々の良識と信仰による判断でいいのではないかと思います。




自分は科学も好きですが、科学やその証明に依存しない神も信じています。

歴史が示すように、取得する土地や建造物の大きさや多さ、獲得する信者の数やそこで拝む人の数、集まる金や富の量で威光と名声が増すような、ビジネス発展型ゲームや神話ゲーム的な虚構の神々は、これからも人為的に作られては「死んで」いくでしょう。

いるかいないか分からないもの・・造られたと言い出す側が提示する証拠や論理で、その存在や正当性(神の正当性ってなんだそれ笑)が証明されなければならないもの・・

そんなの、神とは呼べないでしょう。信じるにも祈るにも値しない。

形を作らないだけで、イメージの中で作り上げたむなしい偶像です。

「いるのか、いないのか」と証明を求める人の理性や思考に関係なく、だれが信じようが信じまいが、そんなのとは無関係にいるものとして成り立つのが本来の信仰じゃないんですかね。

自分としては、そういうシンプルなものだと思っています。
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No title

科学と宗教の関係、まさにおっしゃる通りだと思います。
JWの言う宇宙主権論争で神を擁護するだとか、神の存在を「科学的に」証明するなど、一体何様のつもりかということですね。
「在りて在るもの」、他者にその存在を依存することのない超越者こそ神なのですから。

Re: No title

> エシ後屋さん

エゴーエイミーを嫌うJWはその宣言が自存に言及した可能性を否定しますが、やはりすべての可能性を否定しないのが信仰かと思います。

I am what I am・・自存・意思・対象・時間、あらゆる可能性を(何も意味しない可能性さえ)包含する根源的な存在者の宣言で、どれか一つの解釈に限定するのは無理でしょう。人間側がその存在や正当性を証明しようなど、何様のつもりか、ですよね。
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